惑星探索型人間─TANSA(α) ~醜い魔女と竜の姫~

 星のように。
 宇宙船『麗しのシレイ様号』が黒い空を流れていく。
 ただ一人の船員を乗せて。
 船員の名前はタンサ。
 『惑星探索型人間』だ。
 産声を上げたその日から、惑星探索型人間として立派な調整をされ、無事に惑星探索の許可を得ることができた。
 そして試験運用の日がやってきたといったところだ。
 かつて人類は宇宙を股に掛けた。
 そうして様々な惑星に根を付けた。
 だが、どこにどんな人間がいるか、どんな星でどんな生活を送っているのか、今となっては分かったものではない。
 そのための惑星探索なのだ。

 つまり惑星探索型人間とは惑星を探索するために生まれてきた人間ということである。

 そんな彼は生まれて十二年になる。
 ふんわりとしたキャスケット帽子がお気に入りだ。これは惑星探索とは全く関係ない。ただの好みだ。ふんわりしている部分が特に。
「さてと、そろそろ降りる準備をしておくかな」
 宇宙船で退屈しないように暇つぶしの道具を沢山持ってきているが、それももうしまい時だ。
 そこへ電子音のベルが鳴り響く。
「電話? 姉さんからだ」
 応答ボタンを押すと、立体ホログラムされた手乗りほどの大きさの青白い少女が映し出される。
〈シレイだけど、そっちの様子はどう?〉
 電話の相手はタンサの姉。名前はシレイ。
 『惑星探索補佐型人間』であり、惑星探索型人間の使命を手助けするための調整をしっかりと受けている。
 シレイが行う補佐は主にタンサを助ける道具作りだ。
 その技術は惑星探索に注ぎ込まれ、麗しのシレイ様号も彼女が製作した。
「問題ないよ。もうすぐ到着する」
〈そう、それはなにより〉
 通話をしながらタンサの耳は些細な違和を感じ取った。
 シレイの声に混じってガサゴソと物音が聞こえてくる。
「何してるの?」
〈うん、ちょっとね。ねぇ『美の女神シレイ』どこ行ったか知らない?〉
「……え? 何? 何がどこ行ったって?」
 シレイが探している名前はあまりにも突拍子がなく、聞き間違いだと思った。
〈だから美の女神シレイだって〉
 しかし間違っていなかった。シレイからの返答に変化はない。
「何それ?」
〈私の作ったものなんだけど〉
「姉さんさぁ、発明品に自分の名前を、しかもそんな自惚れた名前付けて恥ずかしくないの?」
〈全然! 私の素晴らしさを全宇宙に知らしめたいくらい!〉
「えぇ……」
〈それで見たの? 見てないの?〉
「見てないけど」
〈ちょっとカバンの中を調べてくれない? 紛れ込んじゃったのかも〉
「一体何をしたら……」
 タンサはカバンを大きく開き、中をかき分ける。
「もしかして、コレ?」
 取り出したのは片手で持てるほどの小さな機械だ。ピンクと白のファンシーな色合いで、横にスライド式の電源スイッチが付いている。
 試しに電源を入れると身の毛もよだつようなスパーク音が走った。
 機械の先端では、電気が警告するように点滅しながら光を放っている。
〈ああ、それそれ。やっぱりそこにあったんだ〉
「何これ? スタンガン?」
〈違う! 私の美しさに磨きをかけるための道具だから〉
「こんなおぞましい物で美しさを……? それに姉さんって僕とふたつしか変わらないでしょ。作る意味ある?」
〈綺麗になるのに年齢は関係なし! 私は綺麗な私が好きなの!〉
「それで効果あるの?」
〈当然! 誰が作ったと思ってるの? もうお肌ツルンツルンなんだから! ……想定どおりなら〉
「……すごく不安になるような言葉が聞こえたけど」
〈私は元が綺麗だからちょっと効果の有無がわからなくてね〉
「そもそもどう使うのこれ……?」
「使い方はとっても簡単! 電気を顔に当てるだけ! ほらやってみなさい」
「……本当に大丈夫なんだよね?」
 タンサは恐る恐る、顔に当ててみた。
「いたいッ!」
 顔につねるような痛みが一瞬走り、慌てて引き離す。
「いたた……ん? なんか焦げ臭いんだけど……」
〈それは産毛が焼けた匂いだよ。それよりほらどう?〉
 促されて美の女神シレイを当てたところを触ってみる。
「おお、確かにツルツルしてる……いや元からこれくらいだったような気もするけど……」
〈あ~やっぱりタンサが使ってもわかんないかな? でもすごいのは事実だから〉
「本当かなぁ」
〈出力を最大にすれば肌はもうツルツルどころじゃ済まないよ。顔が変わると言っても過言じゃない〉
「怖いよっ! 大丈夫なの?」
〈もちろん。私は自分で作ったものは、まず自分で安全確認をしてるもの〉
「それでどうだったの?」
〈いや〜顔に当てたところまでは覚えてるんだけど、知らないうちに気絶してたんだよね〉
「それ本当に確認できてる?」
〈少なくとも悪化はしてないし問題はないでしょ。まぁ使わなくても私は宇宙で一番可愛いけどね〉
「……そっか」
「二番目はタンサだから。光栄に思いなさい」
「いや可愛いって言われても……」
〈ところで美の女神シレイの原理を知りたくない? それはね───〉
「別に聞いてないよ」
〈聞かれなくても言いたいの〉
「う~ん、聞きたいのはやまやまなんだけど……あ、そろそろ到着するから、また後でね、じゃあ切るよ」
〈ああ、そう残念。じゃあ最後にひとつだけ。私が指示できないからって無茶はしないように!〉
「なんでできないんだっけ?」
〈……小型通信機作るのが間に合わなかったの!〉
「こんなの作ってるから……」
〈…………ごめん〉
「……じゃあ今度こそ着くから」
〈うん。気をつけてね〉

通信を終了するとともにシレイのホログラムも姿を消した。
「よし、それじゃあ頑張るぞ」
 タンサは惑星に向けて船を操作した。

それはそれは、とても美しい星だった。
 足の踏み場も無いほどに、視界いっぱいに広がる花畑。
 それが頭に思い浮かべることのできる色を遥かに超えて、鮮やかに敷き詰められている。
 燃えるような赤い花があれば、凍るように青い花もある。
 太陽のように眩しく輝く花もあれば、月のように優しく煌めく花もある。
 花たちに香り付けされた風は、まるでそれぞれが色を持っているようだ。
「すごいなぁ。どこもかしこも綺麗で目が回りそうだ。これで空が晴れてたらもっと綺麗なんだろうけど」
 空一面を覆い隠す雲を眺めながらそう呟いた。
 それを除けば、視界全てが『美しい』で埋め尽くされる空間を見渡しながら歩き回った。

一面の花畑を抜けると、森が広がっていた。
「ん? なんだろうこれは」
 不自然な光景がその目に入る。
 森に入っても花の絨毯は続いているのだが、それが広範囲にわたり押しつぶされている。
「大きな生き物がここを通ったみたいだ」
 危険が襲ってきてもいいように電撃銃を取り出した。
 これはシレイが作った特製の護身武器だ。
 非常に特殊な電撃の力で対象を瞬く間に気絶させる。電力の調節も可能で気絶させない程度に留めることもできる。
 しかし、シレイの発明の素晴らしいところはそこではない。
 なんとこの電撃銃で撃たれても無傷、無後遺症なのだ。
 その者のこれからの人生を奪うことなく制圧してくれる優れものだ。
 ただしとても痛い。不健康な人間が足つぼマッサージを受けるよりも痛い。予防接種よりも痛い。
 ちなみに正式名称は『シレイに一目惚れ』である。
 話を戻すが、タンサの使命は惑星探索であり、現地民との争いは可能な限り避けたいところだ。
 可能ならば友好な関係を築きたい。たとえ襲われることがあったとしても、命を奪うことは回避しなければならない。
 それを実現してくれる素晴らしい護身具である。
 電撃銃を手に取り、慎重に辺りを見回しながら大きな獣道を辿っていく。
 するとたどり着いた先は洞窟の入口につながっていた。
「この中に入ったんだ」
 それはあまりにも大きく、入っていきながらまるでこれから咀嚼される豆粒にでもなったような気分になった。

タンサはカバンから明かりを取り出す。その名も『恒星シレイ』。対象のそばをフヨフヨと浮かび、自動追尾しながら全方位を照らしてくれる球体だ。明かりをつけながら両手を空けることができる。
 これもシレイ特製の発明品だ。名前の由来はもちろん発明者の名前で、彼女が自らの輝きを表現したものである。
 シレイには自尊心と自己愛が大いに盛り込まれている。
 恒星シレイを視界を遮らない位置に浮かべて、洞窟の中に足を踏み入れた。
「ちょっと怖いな……中は寒くて不気味だ」
 肌が粟立つのを感じながらも、好奇心に駆られて足を進める。
 奥に行くに連れて冷たく、ジメジメと湿っぽくなっていく。
「流石に危ないかも。引き返そうかな」
 踵を返そうとしたその時。
 ズイッと目の前に大きな影が現れた。
 それはあまりに大きく、視界を埋め尽くした。
 だがそれはその大きな影の一部で、よく見ると顔であった。
 ギョロギョロとした大きな目が睨みつける。
 丸呑みされそうなほどの大きさの口に、ギラギラとした牙が剥き出しになっている。
 皮膚はすべて、緑色の鱗で覆われている。
 悪魔を連想させる大きな角が頭頂部から二本誇らしげに生えている。
「ド、ドラゴン……⁉︎」
 電撃銃を構えて引き金を引く。
 しかしその竜の大きさに対して電撃は小さすぎた。シレイに一目ぼれは安全を考慮して出力を制御している。
 竜が蚊に刺された程度に感じているその無反応さに電撃銃をしまう。
「効かないなら仕方ない。だったら……」
 次の手段として構えた途端、
「お待ち下さい」
 そのような声がどこからともなく聞こえてきた。
「え……?」
 困惑して手を止める。
 声の主を探して顔をあちらこちらへ向けるが人の姿はない。
 視界にいるのは相変わらず目の前の恐ろしい竜だけだった。
「も、もしかして君が喋ったの?」
「はい。驚かせてしまい申し訳ありません」
 腕を下ろして警戒の意思を無くしたことを見せた。
 何故、初めて来た惑星の言語が通じるのか。
 それはシレイの発明品『愛の架け橋レイ』のおかげだ。
 愛の架けはシレイはどのような言語であろうとも、たとえ未知の言語だろうと、無遅延でお互いの理解できる言語に変換する、惑星探索型人間も旅行客も必須の優れものだ。
 少し落ち着いて竜の顔を見ると、恐ろしい姿に変わりはなかったが、どこか穏やかで、知性的で、優雅で、そして悲しそうに見えた。
 竜はおしとやかな口調で口を開いた。
「私はバーバラと申します。あなたは?」
「僕はタンサ。初めましてバーバラ」
 帽子を脱いでペコリとお辞儀をした。挨拶のできない者に惑星探索の資格は与えられない。
「タンサ様……見慣れないお姿をしておりますが、どこか遠くからいらしたのでしょうか?」
「うん、『ツクョエ』って所から……」
「ツクョエ……聞いたことのない国ですね」
「えっと、国というか星なんだけど」
「星……?」
 ツクョエとはタンサやシレイが生まれた星である。
 決して大きくなく人口も多くない。
 それは人間を生むのは使命を果たすためだからだ。
 理由なき人命が作られることがない。
 『星からやってきた』という言葉を聞いて竜の瞳がわずかに揺れる。
「ということはあなたは、天の御使い様ということでしょうか?」
「天の……? なにそれ?」
「私たちの祖先も遥か遠くの星から、この星に降り立ったと言い伝えられております。そしてこの星に根付き、子孫を残し国をお作りになったと」
「う〜ん、よくわからないけど、僕はただの惑星探索型人間だよ」
「惑星探索……型?」
「うん。いろんな星を回って、その星がどんな所なのかを探索するのが僕の使命なんだ」
「これは、少々難しい話ですね」
「君はこの星について詳しい? よければ話を聞かせてよ」
「そうですね、確かにこの星については多少詳しいと自負しております」
 バーバラは軽くこの星についての特色を挙げた。
 美しい風景、美しい自然。
 ここには多くの個性豊かな植物が生息していると話した。
「へぇ~。もしかしてここはドラゴンと植物が特徴なのかな……」
 その話を聞いて一人で呟く。
「……あの、これからする話を信じてほしいのですが」
 そこへバーバラが奥歯に物が挟まったように言いづらそうに声をかける。
「うん?」
「実は私は、この国の姫なのです」
「えっ⁉︎ ……そうなんだ。ということは他のドラゴンたちもどこかにいるのかな?」
 その問いかけに竜は俯き、寂しげに目を閉じて首を横に振った。
「いいえ、いないでしょう」
「どうして? バーバラはひとりぼっちのドラゴンなの?」
「それも違います。そういうことではないのです」
「じゃあ、なんで?」
「…………信じてくださいますか?」
「今度は何?」
「私は……ドラゴンではないのです」
 バーバラの告白に理解が追いつかなかった。
 改めてその姿を前から後ろへ回ってくまなく観察する。
 鱗に覆われた体。
 加えて凶暴な角。
 さらには背中に大きな翼まで生えている。
「……どういうこと? どう見てもドラゴンだけど」
「確かにそう見えるかもしれません。ですが、私の元々の姿はあなたとそう変わらない、人間なのです」
「えぇっ⁉︎」
「タンサ様。出会って間もなくのあなたにこのようなことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、私のお願いを聞いてはいただけないでしょうか」
「何か悩み事があるの?」
「その……私が元の姿に戻れるようにお力添えをいただきたいのです」
「どうして僕に? お姫様なら頼れる人は他にもいるんじゃないの?」
 竜は首を横に振った。
「このような恐ろしい姿の私を、民たちに見られたくはないのです。個人的な問題で申し訳ございません」
 竜はうるんだ瞳でタンサを見つめ、大きな頭を小さく下げた。
 その必死な姿は決して嘘を吐いているようには見えない。
 たとえ嘘を吐いていたとしても出すべき答えは決まっている。
「うん、いいよ」
「本当によろしいのですか?」
「もちろん。困ってる人には親切にって言われてるし」
「まことに、まことにありがとうございます……!」
 竜は何度も頭を下げて、涙まじりの声で感謝を告げた。
「ただそれは別に構わないんだけど……僕は何をすればいいの?」
「スピルという者を探してください」
「スピル?」
「ええ、深くフードを被り、人目を避けていて、そして……」
 言葉を詰まらせた竜の表情にわずかに影がかかる。
「……?」
「私の……友達、だと思っていた者です」
「仲が良かったの?」
「少なくとも私は無二の親友であると、そう思っていたのですが……彼女はそうではなかったのかもしれません」
「…………そのスピルがバーバラの姿を変えたの?」
「スピルは私から奪ったモノをどこかに持っているはずです。そちらを取り返して頂きたいのです」
「どこにいるかは分かる?」
「ここから花畑を抜けた先に街があります。恐らくそこにいるでしょう」
「わかったよ。ひとまず街に行って探してみるね」
 タンサは洞窟を出て、街に向かった。

花畑を越えた先の街は、その残像さえも上書きできるほどに美意識の高さを感じる所であった。
 色鮮やかに並んでいる建物たちは、決して目にうるさくなく、統一感を感じさせた。
 人工感のある幾何学的な形を装飾するように花が並んでいて、まるで街全体がひとつの城の庭園のようだった。
 目に映る人々は自己主張を控えた上品な格好、振る舞いで、自分を一番に目立たせる品のない装いはしない、とでも考えているかのような印象を受ける。
「なんだか街全体でオシャレしてるみたいだ。あっちもこっちも飾りみたい」
 そのあまりに優雅な街に恐縮していると、後ろから声をかけられる。
「やあボウヤ。この辺りでは見かけない子だね」
 振り向くとエプロンを身に着け短めの髪を上げた、清潔感のある中年男性が立っていた。
 警戒させないようにと視線を合わせる様子から、悪意は感じられない。
「初めまして。僕はタンサ」
 それは帽子を取りながらお辞儀をする美しい挨拶だ。
「お、礼儀の良い子だな。俺はチャティ、よろしく。それで君はキョロキョロしてどうしたんだい? 迷子かな?」
「迷子じゃないんだけど、人を探してて」
「そうかそうか、まあ外で話すのも寂しいものだ。うちに寄っていきなよ。すぐそこのカフェなんだ。お茶をごちそうしよう」
「でも僕お金持ってないから」
「お金なんかいいさ」
 タンサは少し申し訳なさそうにしながらも、誘いに乗ってカフェに入っていった。

内装は整えられていて、見た感じ掃除も行き届いている。
 客足を遠のかせる要素は特に感じられない。
 だというのに案内されたカフェは驚くほどに静かで客が誰もいなかった。
「ちょっとここで待っててね、すぐ淹れてくるから」
 椅子を引いて座らせると、チャティは暗い厨房へと向かった。
 タンサはその様子をおとなしく眺める。
 厨房に立ったチャティはジョウロを取り出して、角に置かれた花に水をあげた。
 すると花びらが、ゆっくり、じんわりと明るく輝いて行き、次第に厨房全体を照らした。
 それからポットを取り出して、大きな花びらを広げている水色の花の下に運んだ。
 そして花のガク辺りをつまんで力を込めると、透き通った水が溢れ出し、みるみるうちにポットの中を満たしていった。
 満たされたポットを赤く茎の短い花の中心に置いて、ジョウロの水で花が根を張っている植木鉢の土を湿らせた。
 少し待つと水が湯気を発していき、次第に沸騰し始める。
 それからポットを持ち上げて次は茶葉をその中に加えた。
 透明のお湯は魔法のように姿を変え、曇りのない空を映し出す海のような色になった。
「もう少し待っててね」
 緑色の葉が装飾されたカップを取り出して待っている机の上に置き、閉じきった蕾を入れた。そこへ今作ったお茶で、入浴させるようにカップを優しく満たしていく。
「うわぁ〜! すっごい!」
 その様子に思わず身を乗り出して声を上げた。
 初めは蕾だった花びらが少しずつ開きだし、ついには満開になり、マグカップの底を飾っている。
「さぁどうぞ」
「わぁ、いい香り」
 息を吹きかけてお茶を冷ましながらすすった。
 甘い香りがふわりと広がり、頭の中いっぱいに花畑の景色が広がるようだった。
「すっごく美味しい!」
「そうかそうか、それはよかった。このお茶はこの花が大事なんだ。ここから出る蜜がお茶の渋さを抑えてくれるんだよ」
 ほっと一息ついている向かいに座ってチャティは「それで……」と話しかけた。
「人を探しているって言ってたけど、誰なんだい?」
「えっと、スピルっていう人を探してるんだ」
 『スピル』その単語を聞いた途端その表情は優しげなものから一変して、目つきが鋭くなった。
「何故探しているんだい? 君はあの醜い魔女の仲間なのか?」
「えっ?」
 それは明らかに敵意を持っている表情だった。タンサは慌てて弁明をする。
「ち、違うよ。スピルが持っているあるモノを取り返しに来たんだ」
「……そっか、君は魔女の被害者だったのか。疑ってすまない」
「僕じゃないけど。それはよくって、スピルのことを知ってるの? 魔女って?」
「この国の姫様のことは知ってるかい?」
「ん〜、まぁなんとなく?」
「姫のバーバラ様は満開の花のように可憐で、誰にでも愛らしい笑顔を絶やさないお優しい方なんだ」
「へぇ~そうなんだ」
「醜い魔女はいつの間にか現れて、バーバラ様と共に行動するようになった。バーバラ様はそんな魔女にも分け隔てなく接していた。花が咲くような笑顔で」
 その話にお茶を飲む手も止めてすっかり夢中になった。
「ところが少し前のことだ。恐ろしい噂が流れた」
「恐ろしい噂?」
「お城の近くの森に一頭のドラゴンが現れたという噂だ。ドラゴンは我々にとってとても不吉な存在なんだ」
(森の近くのドラゴン……バーバラのことだ)
「そしてその噂と同時期に、バーバラ様のお姿を見たものはいない。恐ろしい呪いに罹って、誰も部屋に近づけないように、と魔女が指示を出したからなんだ。それから空模様も良くないし、あまりにも怪しすぎる。あの魔女が何かしたに違いない。街中皆がそう思っている。それでも俺たちには何もすることができないんだ。おかげで街の皆はどこか元気がなくなって、うちもこのとおりガラガラだ」
「そうだったんだ。それでスピルはどこにいるの?」
「バーバラ様の看病をしているということが事実ならば、お城にいるだろう」
 その情報を聞くと、タンサはお茶を飲み干し立ち上がった。
「わかったよ。それじゃあお城に行くね、ありがとう! ごちそうさま!」
「あ、ちょっと……」
 止める間もなくカフェを出て駆けていった。
 慌てて追い掛けようとするが、既にその背中は声を掛けても届かないほどに小さくなっていた。
「もうあんなに遠くに、お城には許可がないと入れないんだけど……大丈夫かな?」

カフェを出て、堂々とした門の前に辿り着いたタンサ。
 そこでは街の中で一際目立つ、空まで届きそうなほどに高い塔がそびえ立っている。
「おや、どうしたんだい?」
 鎧を身に纏った門兵に声を掛けられる。
 少年に対して大きな警戒心を抱いている様子はない。
「初めまして。僕はタンサ」
 帽子を取りお辞儀をして挨拶をする。挨拶とは友好の意。自らに後ろめたい精神がないのなら堂々とする方が双方心地が良い。
「初めましてボウヤ。何か用かな?」
「ここがお城?」
「ああそうだよ。この国で最も愛される、大切な御方が暮らしているんだ」
「よかった合ってた」
 実は勢いよく飛び出したまではよかったが、城の場所を尋ねるのを忘れていたために、少しの間街を彷徨っていた。
 そこから来る安堵である。
「それでどうかしたのかい?」
「お城に用事があるんだけど、入ってもいい?」
「ダメダメ、普段でも許可がなきゃ入れないのに……この頃は誰も入れないように言われてるんだ」
「それは噂のせいで?」
「知っているんだね。姫であるバーバラ様がお体を崩されているんだ」
「う〜ん、そっか。それじゃあ……他のお願いを聞いてもらえる?」
「できるかどうかはわからないけど、言ってごらん」
「スピルって人に用があるんだけど……会えるかな?」
 その頼みを聞いた瞬間、門兵の表情が歪む。それは憎悪や怒りの類ではなく、生理的嫌悪感を抱いている様子だった。
「うっ……あの気持ちの悪い魔女か……でもそれは難しいな」
「どうして?」
「彼女は今、地下室に閉じこもって姫様の看病をしている。それに大層な人嫌いだ。誰とも話をしない、それどころか目を合わせることもしないんだ」
 その話を聞いて頭を悩ませた。
(そっか困ったな。お城に入れないし、スピルにも会えない。バーバラに頼まれたと言っても信じては貰えないだろうし……)
「それじゃあ諦めるよ」
 ガックリと肩を落としてあからさまに落ち込む素振りを見せる。
「すまないね。姫様を一目見たくて遠くから来たんだろう?」
「そんなところかな」
「またきっと元気なお姿を見せてくれるさ」
「うん、じゃあね」
 タンサは門兵に手を振ってその場を後にした。
(一度バーバラの所に戻って、どうするか相談してみようかな?)
「元気の良い子だ。もうあんなに遠くに」
 遠ざかる背中を見つめながら門兵は呟いた。

街から花畑を抜け、洞窟に戻った。
「ただいま!」
「おかえりなさいませ……随分とお早いですね……やはり難しいお願いだったようですね」
 帰還の挨拶に対して返ってきたのは諦めのような言葉だった。
 当然タンサにはその心境は理解できない。
「何言ってるの?」
 首をかしげてその真意を確かめた。
「引き返してきたのでしょう? 見送ってからまだ少ししか経っていませんもの」
「まさか! ちゃんと話を聞いてきたよ」
 胸を張って誇らしげに答える。
「ほ、本当ですか? ここと街を往復すれば、国の走り自慢でも日が傾くくらいの距離があるはずなのですが」
「その人はすっごく足が速いと思うな。けど僕と比べたら可哀想だよ」
「なんと、頼もしいお言葉ですね」
 竜の瞳には少年らしい絶対的自信が微笑ましく思えた。
 タンサは改めて現状をバーバラに相談した。
「なるほど、事情は理解できました」
「どうすればいいかな?」
「それでしたら、森から城への秘密の抜け道がございます」
 抜け道の場所を丁寧に説明するバーバラ。それを復唱しながら頭に入れる。
「それでこの道をこっち……うん、わかった!」
「くれぐれもお気を付けください。森には獰猛な獣も生息しております」
「大丈夫だよ。そういう調整もしてあるから。ああ、それと……」
 続けて街で聞いたスピルの噂についても語った。
「……そうだったのですね。教えていただきありがとうございます」
 噂を聞いた竜の瞳に映っていたのは悲しみと怒り。
 それからは口を閉ざしてしまった。
「それじゃあ行ってくるね」
 タンサは森から城への道を歩き始めた。

抜け道を求めて森を歩く。
 雨上がりを感じさせる雫をまとった花々は、宝石で着飾っているように煌めいている。
 個性豊かな色たちが退屈をさせない。
 タンサの首は抜け道を探すだけではないほどに辺りを見ていた。
 その目は花に負けないほどに光を宿している。
「ん? なんだろうこれ」
 木々を眺めていると気になるものを見つけた。
 大きな幹に爪痕が付いている。
 その爪の大きさから本体も相当な大きさだということが想像できた。
 さらに見回すと幹が折れている木もある。
 それらに気を取られていると───
 突如、タンサの小さな体に大きな影が覆いかぶさった。
「あぶなっ!」
 影に向かって手をかざすと体を丸く囲うように、ドーム状の半透明な膜が現れた。
 その膜は突然の衝撃に対して、波紋状の電気を発し、その力を全て受け流した。
 襲い来る超重量級の影。タンサの足元には小さなクレーターが出来上がる。
「さすが姉さんの作ったシールド。この大きさなら数百キロはあるのにビクともしないや」
 それは受けた衝撃エネルギーを電力に変換することで痛手を避けるバリア。さらに変換した電力は自らの電源に蓄えることのできるとてもエコな一面もある。
 正式名称は『守護シレイ』。守護霊ではない。
 いきなり現れた影は全身毛むくじゃらの獣で全長三メートルほどはあり、四足歩行で体の所々から木の枝が生えていた。
 すかさず電撃銃を取り出しその獣に向けて放つ。
 電撃は獣を目掛けて一直線に走り、胴体に突き刺さった。
「どうだ!」
 電撃を受けた獣は確かに怯んだが、それも刹那の間だけだった。
「やっぱり大きいとダメみたい」
 次の手を打つために電撃銃をしまう。
 反撃された獣は怒り、一層激しく襲いかかった。
 タンサはそれを軽やかにいなして、獣の体から生えている枝を両手で掴んだ。
「えいっ」
 そして、空箱でも放るような雰囲気で、軽々と投げ飛ばした。
 そこにあるのは種と仕掛けで、シレイはない。
 その小さな体が手品よりも不思議に、姉の力なしに、巨大な獣を宙へといざなったのだ。

ツクョエにおいて、人は生まれながらに人にあらず。
 人は必ず使命を持って生まれてくる。
 使命のために人を生む。
 生まれた意味を果たすためには、生まれたままの姿では許されない場合がある。
 特に『惑星探索』のような過酷な肉体労働が予見される使命を持っている場合は規模が大きくなる。
 まず生まれて五年目にして肉体の改造を行う。
 骨はより強靭に、筋肉はより強力に。
 生まれ持ったそれらを人工的に作り上げた代替品と置き換える。
 少しずつ作り変えていく。
 それにより惑星探索型人間は通常の筋力をはるかに上回り、その体躯にふさわしくないほどの力を発揮する。
 体に拒絶反応が起き、泣いても収まらない激痛で、夜も眠れない日が続く。
 馴染んで来たら次の箇所を。そしてまた絶えず続く痛みと眠気に耐える。
 これが最初の工程で、筋骨の改造が安定してきたら次の段階に入る。
 臓器の交換だ。
 例えば灼熱、水中はたまた宇宙。
 有毒も真空も活動範囲対象である。
 呼吸の許されない環境でも長時間活動ができるような人工肺にしたり、体内へ酸素をより大量、高速に行き渡らせるための人工心臓など。小さな体には作り物が満ち溢れている。
 さらにそれらを制御できるように、脳にはマイクロチップを埋め込まれている。
 これには様々な役割があるがその中のひとつが肉体制御である。
 その埋め込まれた人工的な脳が体中の人工物を正確に機能させるのだ。
 ただし、それを入れたからといって体の制御がその日からできるようになるわけではない。
 精神とうまく調和させる必要がある。
 そのため正しく使いこなすための調整が始まる。

そこは何もない白い箱のような部屋。
 生まれて七年目のそれは、その中にいる。
 まるで水没しているように冷たい水で満たされた部屋で、酸素を求めてもがき苦しむ。
 部屋の隅から隅まで移動したり、どこかに空気がないか探す。
 しかし、それも長くはもたない。
 次第に動きが鈍くなり、口から空気が漏れ出さないようにと手で押さえる。
 だが、その隙間からは気泡が無慈悲に浮き上がっていく。
 小さな体は水中で力なく固まった。
 ゆっくり、ゆっくり、音もなく沈む。
〈心停止を確認しました。排水します〉
 性別も感情も無い作り物の声が鳴り、部屋からは水が一気になくなっていく。
〈直ちに心臓マッサージ、および電気ショックを実施します〉
 壁から伸びてきた、機械仕掛けの腕が動かなくなった体に触れると、勢いよく体が飛び跳ねた。
「っ! ゴホッゴホッ」
 息を吹き返し、せき込む。口からは飲み込んでしまった水が吐き出される。
〈心肺機能の再起動を確認しました。五分後に水中での活動機能の調整を再開します〉
 しばらくした後、現状を把握して湧き上がる感情を抑えきれずに、それの目から涙がこぼれてくる。
「も、もう嫌だよぅ……なんでこんなことしなきゃいけないの。誰か助けて……」
 しかし、それに応えるものはいない。
 泣き崩れる対象のことなど、気にも留めずに部屋には再び水が満たされていく。
〈次の目標時間は一時間です。惑星探索型人間としての最低条件は八時間です。調整を繰り返しこの程度も意識を維持できるようにならないと判断した場合、廃棄の対象となります〉
「いやだ! 嫌だ! 誰か、誰か助けて‼」
 その叫びは誰の耳にも届かない。
 部屋に満たされる冷たい水、それだけが返事だ。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
 ───溺れる寸前まで水の中に閉じ込められることもある。

〈現在の標高は六千メートルです〉
「はぁ……はぁ……」
 息を切らしてひたすらに上り坂を歩き続ける。
 自らの肉体のみで。
「寒い、体が凍っちゃう……痛い……頭も、体も……」
 防寒具などの装備は一切なしだ。
 許されているのは日常的な最低限の服装と特別でもなんでもない運動用の靴。
 いついかなる状況でもこの程度は耐えられなければ惑星探索は任せられない。
 立ち尽くし、口から吐瀉物が散らばる。
「……疲れた……もう……だめ、眠い」
 何時間と歩き続けて体力は限界である。
 垂直にも感じられるほどの急勾配。岸壁を何度も這い上がった。その指には血が滲み、爪が割れて、剥がれかけている。
 岩に腰を下ろし、目を閉じる。
 急速にまどろみが押し寄せてくる。
 まるで何かに呼ばれているようで、「おいで、おいで」と誘われているようで。
 少しずつ痛みが遠ざかっていくような気分で。
 そのまま深く、深くに意識を手放そうとしたとき、
 ───電流による激痛が全身を襲った。
「ぅあああああっ!」
〈睡眠モードに入ることは許されません。今眠ると再起動は不可能であると推測されます〉
「……もう、なんなのさ」
 目からは涙が零れ落ちそうになる。
 それを乱暴に拭って歩みを再開した。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
 ───標高一万メートルを超える人工山を登らされることもある。

〈どのような惑星の気温でも活動できなければ惑星探索型人間としては不良品となります〉
(もう、喋る気力もない……体の全部が汗として流れ落ちてるみたいに。視界が霞む……歪む、もう立ってられない)
 息を吸えば肺が内側から焼かれるようだった。
 ふらりとバランスを崩し、体を支えるために床に手を着く。
「っ‼︎ くぅ……!」
 熱された鉄板に着いた素手は刹那で焼ける。鼻には瞬間的に焦げた臭いがこびりつく。
「暑い……熱い……痛い……」
 しかし、泣き言に意味はない。聞き入れられることはないのだから。
 今、許されるのはただこの調整をこなすことだけである。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
 ───鉄板で作られた部屋で数百度に熱されることもある。

〈本日より、戦闘能力の調整をいたします。まずは一体から始めます〉
 その獣は鋭い牙と爪を振り回し、飢えた食欲の化身のようだった。
 理性などなく、知性などなく、ただ眼の前の獲物を食い散らかそうとする獣。
 それが瞬く間に至近距離まで駆け寄って来る。
「ひぃっ!」
 思わず眼前を両手で塞ぐ。獣はその腕を噛みついた。
「っ‼︎」
 腕は痛みと熱とを同時に発した。剣山の付いた万力で挟まれたように鋭く重い痛みだ。
 歯を食いしばっても誤魔化すことのできない、皮膚表面の痛み。
 獣は腕を引き千切ろうと力任せに首を振り回す。
「うぐ……あ、あぁぁああああ! 痛い痛い痛い!」
 しかし、そう簡単には千切れない。そのように肉体が改造してあるからだ。
 皮膚に食い込みはするがそれより奥は決して傷ついていない。それだけ強靭な物に作り変えているから。
 だからこそいつまでも牙が刺さり続ける。
 痛みから逃れようと腕を振って暴れる。
 その腕が偶然にも、獣の頭に直撃した。
 それと同時に獣は、腕から口を離し、電源が切れたように動かなくなった。
「……た、助かった……?」
 安堵したのも束の間、全身に電流が流された。
「あああっ!」
〈この調整は現地の人類との戦闘を想定しています。惑星探索型人間には殺人の権利は付与されていません。ペナルティが発生します〉
「そんな……それじゃあ僕が死んじゃうよ!」
〈許可されていません。本番時に命を奪った場合はマイクロチップの強制シャットダウンを実行します〉
 許されるのは護身のみ、惑星探索において命を奪うことは不要な機能だからだ。
〈調整は全て───〉
「使命を果たすために必要な事項です……バカ……もういいよ」
 ───殺意に対して護身のみが許された超ハンデ戦を強制されることもある。

これらの調整を繰り返す。
 まるで学校で授業を受けるように周期的に。

この始まりから数年経過、それも生まれて十年目になる。
 水中では九時間ほど意識を保つことに成功し、標高一万メートルの山をハイキングのように登れるようになり、灼熱の鉄板の上でも立ちながら居眠りができるようになった。
 戦闘能力の調整では三十ほどの獣を相手に同時にやり過ごすようになっていた。
 しかし未だ生傷は耐えない。複数を相手取るとなると視界の外から襲い来る攻撃に対処できないのだ。
 そんなある日の戦闘前。壁からひとつのイヤホンが出てきた。
「なにこれ?」
〈惑星探索補佐型人間の調整が完了しました。そのため本日より、戦闘能力の調整ではそちらの装備が必要になります〉
「ワクセイタンサクホサガタニンゲン……? それは一体何?」
 ため息を吐きながらも抵抗に意味がないことを知っているので、言われたとおりに身に着けた。
〈調整を始めます〉
「今度はこの無機質な声を耳元で聞くことになるのかな」
 檻が開き、獣たちが次から次へと姿を現す。
 殺気立った獣、許されているのは素手による護身のみ。
 眼の前に警戒を向けていたところ、
〈後ろへ避けて!〉
「え⁉︎」
 唐突に耳元に響く声、思わず言われたとおりに体が動く。
 すると、それが立っていた場所に右から来ていた獣が噛みつく素振りをしていた。
「……今の声は?」
 イヤホンから聞こえてきた声は今までの無機質なものとは違って、血が通っていた。
 その後もその声に従って体を動かすと、今までにないくらいに安全に戦うことができた。

その翌年。
〈左!〉
 声に従い左からの攻撃を避ける。それと同時に獣を掴み放り投げた。
〈次が来るよ油断しないで!〉
「わかってるよ」
 眼の前から襲い来る獣をしゃがんで躱す。
 声が聞こえてからの戦闘能力の調整は順調であった。
 そして……。
〈最終調整が完了しました。本日よりTANSA(α)に惑星探索型人間権限を付与します〉
 スピーカーから声が響く。
 眼の前には百頭に及ぶ獣たちが気絶して倒れている。
 白い独房だった部屋の壁が、TANSA(α)が通れるくらいの大きさに開く。
 その道を辿った先に人影が立っていた。
「初めまして」
「……その声は! ……あ、初めまして。僕は惑星探索型人間─TANSA(α)」
 TANSA(α)よりもやや大きく、年齢はそれほど差がない。
 それは名乗った。
「私は惑星探索補佐型人間─SHIREI(α)、シレイって呼んで。|立《・》|場《・》|上《・》はあなたの姉ってことになるから。これからよろしくね。タンサ」
 それから一年間、本格稼働に向けて姉弟は親睦を深め合った。
 こうして作られたのが『タンサ』だ。

宙を舞った獣は地面に背中から落ちると、大太鼓を叩いたような、体の内側に響くような音を立てるとともに、地面を大きく揺さぶった。タンサの小さな体が飛び跳ねるほどに。
 さらにその衝撃で地面に咲いている花々から緑色に輝かく粉が舞った。
 獣は慌てて立ち上がり、そそくさと背中を向けて逃げていった。
「ゴメンね。痛かったよね」
 惑星探索型人間にとっては、突進してくるだけの獣など赤子のようなものである。
 遠ざかる背中に謝罪し、抜け道を探し始めようとしたとき、
「うわぁ何なに⁉」
 タンサの目に驚きの光景が映る。
 森の植物から細長いツルが伸び、一斉に暴れ始めたのだ。
 まるでムチのように風を切り、そして───
 爪痕の付いた幹を薙ぎ倒した。
 慌ててシールドを張り、収まるまでその中で縮こまる。
 やがてその暴走が過ぎ去ったのを確認した後、再び歩き始めた。

獣道を抜け、教えられた道を突き進むと、木で作られた扉を見つけた。
「ここか、お城に続く秘密の抜け道は」
 タンサは扉を開けて潜り、狭い通路を通った。光の差さない暗闇でも恒星シレイがあれば安心である。
 恒星シレイの明かりは目に優しい。そのうえでしっかり周りを照らしてくれる。
 通路を抜けると城に着いた。それは外壁の内側、中庭であった。
「うわぁ、ここもすごいなぁ」
 見渡す限りに花や木が飾られている。
 広大でありながらもすべてが丁寧に管理されていた。
 物陰にひっそりと隠れ、辺りを見回すと、巡回している衛兵たちの話し声が聞こえてきた。
「姫様、早く良くなるといいんだが……」
「あの魔女、本当に信じて大丈夫なんだろうな」
「あの不気味なやつに姫様を任せなきゃいけないなんて」
「ああ、あの顔……思い出しただけでも鳥肌が立つ」
「俺がもしあんな顔だったら、人前なんて出られないぜ」
「まったく、本当におぞましいもんだよ」
「最近は姫様の近くをチョロチョロしてたから顔を合わせることも多くて参ったよ」
「まぁその分姫様の美しさが際立ったのだけは良かったがな」
「今は地下室にこもって、ほとんど外に出ないからその点は助かるな」
 兵士たちはそのようなことを言って笑いあっていた。
(…………)
 兵士たちにとっては、スピルは現在、姫の看病をしている存在のはずである。タンサはそんな大切な人間に対しての扱いに少々、複雑な気持ちを覚えた。
(でも、ここで下手なことをしてバレるわけにはいかないし……取り敢えず地下室を探そう)
 そして話題が落ち着いて全員が静かに庭を見渡すようになって、改めて一人が口を開いた。
「それにしても最近中庭が以前に比べてさらに整備されてるように見えないか?」
「ああ、庭師たちが気合を入れてるからな」
「何かあったのか?」
「バーバラ様にお叱りを受けたんだとさ」
「あのお優しい姫様が? そんなバカな。庭師がさぼって昼寝をしてたら一緒になってお休みになられる御方だぞ」
「俺も驚いたが事実らしい。正確には懇願に近かったって聞いたがな。庭師の奴らは『姫様は魔女に操られてるんだ』なんて愚痴ってたぞ」
「そもそもさぼってる方が悪いんだ。むしろ何の罰則も受けてないことが不思議なくらいだ」
「でも一生懸命に叱ろうとする姫様ってのは、さぞお可愛らしいだろうな」
「ああ、その一部始終をぜひ見てみたかったものだ」
 話に夢中になる兵士たちの視界を避けながらタンサは少しずつ城に距離を縮めていく。
 美しく整えられた植木の陰を利用して、兵士たちの視界を避けて城内へと侵入した。

城の内部も街並みや庭園に決して劣らない美しさであった。ただその美しさは決してひけらかすようなものではなく、自然との融合を意識しているようで、簡素とも感じられるが品性にあふれていた。
「姫様、本当に大丈夫かな」
「魔女が看病をするなんて」
「でも私たちには呪いをどうにかできる知識はないし……」
「余計にお体を悪くしないか心配だわ」
「あの魔女。姫様が優しいからっていつもそばにいて。なんて図々しいのかしら」
「まともな神経があったらあんな顔で姫様の隣なんていられないはずよね」
「外見は一番よく見える内面と言うもの。姫様のお傍にいるのにいつも薄汚れた薄暗い服を着てるし、見てのとおりよ」
「ねぇ知ってる? 魔女が怪しげな植物を地下室に運んでいるんですって。なんだかとんでもなく輝いてる花らしいわよ」
「そんな……後でこっそりでも姫様を見に行った方がいいんじゃない?」
「心配なのはわかるけど、何されるか分かったものじゃないからやめておきましょう」
 中では姿を見せない姫を心配してか、憂いてか、どこか元気のない使用人たちが自らの仕事をこなしている。
(人がたくさんいる。これは慎重に動かないと……)
 タンサは壁や棚、自らの体を隠せるものを確認しながら足を進める。
 綺麗に飾られたそれらも、今のタンサにとっては身を隠すための遮蔽物に過ぎなかった。

衛兵や使用人たちの目を掻い潜る。
 気配を消し、棚や壁、天井にまで張り付いて死角を通る。
 箱に入ったり、洗濯物を被ったり身を隠すためにあらゆるものを利用した。
 電撃銃はできることなら使わないに越したことはない。
 そんなこんなで地下室の扉を見つけたタンサ。
 地下の道はそれまでの明るく美しい様相とは対照的で冷たく、暗く、亡者の住処と言われても信じてしまうほどに気味が悪かった。
 どこに人がいるかわからない以上、恒星シレイを使うのは控えたほうが賢明である。
 そのため暗い道は暗いままであるが大して支障はきたさない。
 タンサのふた周り程度大きい木製の扉は蕾のように静かに閉じている。
 冷え切ったノブに手を駆けて、回そうとするが───
「ん?」
 何かが聞こえてきたため手を止める。
 扉に近づき耳を付ける。
 消え入りそうな、か細く、震えるささやきが聞こえた。
「これを使えば私は……本当にいいの?……いいえもう戻れない……ああ、でも……」
 か弱い声は一人で、自らの意思を回り回って繰り返していた。
(この声がもしかしてスピル……?)
 再びノブに手を伸ばす。そして、音を立てないように優しく慎重に少しずつ回してみる。
(ダメだ開かない。鍵が掛かってるみたい)
 ノブから手を離し、静かに距離を取る。
(鍵についてはバーバラに確認しよう)
 タンサは黙って地下室を後にした。

室内にはそこら中に植木鉢が置いてある。
 それは現在の部屋の利用者のものだ。
 光を放っている花を目の前に座り、うつむいている。
「私にはこれが必要……私が人として扱われるためには……」
 その者の頭を悩ませるのは記憶に刻まれている優しい思い出。

───ある日の城内。
「バ、バーバラ様……本当にこ、こんな所に私が来ても……」
「良いに決まっているではないですか。あなたは私の友達なのですから」
 それはバーバラとスピルが出会ってから初めて王城に招かれた日のことだ。
 バーバラが自ら出迎え、城内を案内している。
「美しいでしょう? 整えられた内装は特にこのお城の自慢なんです」
「ええ、だからこそ私はここにいてはいけないような」
「そんなことあるわけないじゃないですか」
 城内には使用人や衛兵が並んでいて、姫と共にいる不釣り合いにも視線を向けてくる。
 それは肌に刺さるような感触だった。
「や、やっぱり私は……」
 視線に気付きフードを深く被り直す。
 しかし出口へ歩いていこうとするスピルの腕は取られた。
「少しくらい良いではないですか。あなたに来てもらえることを招待してからずっと楽しみにしていたのですよ」
 花びらを閉じ込めた宝石のような瞳に見つめられて、タジタジになる。特にその顔をこのように直視できるものはそういない。
 親でさえその顔からは視線をずらすというのに。
 その目で見られると断ることができない。
「で、では少しだけ……」
「ありがとうございます! さぁさこちらですよ」
 眩しい笑顔を向けると、腕を引いたまま歩みを進めた。
「これが我が城の庭園です」
「わぁ……!」
 視界いっぱいに広がる、色とりどりの植物たち。
 星全体の植物をそこへ集結させたような庭園は右から左まで、近場では見られないようなものばかりであった。
「凄い、凄いですバーバラ様! 書物でしか見たことないような植物がたくさん!」
 興奮気味に視線を移すと、姫は微笑みを向けていた。
 気恥ずかしくなり、ズレてしまったフードを被り直す。
「本当に好きなのですね」
「う、はい……」
「ここにある植物はどのようなものなのですか? 美しいから飾っているものばかりで詳しいことは知らないのです。教えていただけますか?」
「は、はい。え、ええっとこちらは……」
 恐る恐るだったスピルの緊張が次第に緩和されていく。
 スピルの言葉を聞きながらバーバラからも楽しい声があふれてくる。
 その瞬間は忌まわしい自らの姿のことを忘れることができた。
 自分のことを考えずに触れ合える相手がいること、それが世界に色を付けるほどに楽しいことをその時初めて知った。
 夢中になり庭園を歩き回るスピル。その後ろを追いかけるように歩くバーバラ。
 その思い出は確かに心に刻まれた。

「バーバラ様……私は……」
 そしてその思い出を抱きしめながら、地下室の部屋にこもり、顔を搔きむしるひとつの人影。
「……う、うぅ、かゆい、かゆい……」
 ぐちゃり。
「痛っ……!」
 じわり。
 にじむ。
 頬をつたう。
 それは生暖かくてむなしい。

「地下室の鍵ですか……」
 地下から廊下、中庭、そして森。
 来た道を引き返しタンサは洞窟に戻り、城であったことをバーバラに報告した。
「話を聞く限り鍵を持っているのはスピルでしょう」
「それじゃあどうするの?」
 その問いに少しの間考えてからバーバラは返した。
「宝物庫に予備の鍵を束ねた物が保管してあります」
 城におけるその部屋の位置を説明した。
「こっちの廊下で左に曲がって……うんわかった、それじゃあ宝物庫に行くね」
「宝物庫は警備を厳しくしてます。危ないと思ったら引き返してくださいね」
「大丈夫だから心配しないで待ってて。ああ、それと……」
「なんでしょうか?」
 地下室から聞こえてきた独り言についても伝えた。
「そうですか……」
 竜は物憂げな表情を浮かべる。
「それじゃあ僕は行くね」
「あ、ええ。お気を付けて」
 出ていくタンサを見送り、竜は俯く。
「スピル……」
 友の名を呼ぶバーバラの声が、洞窟の中で優しく響いた。
 自らの姿が変わるその時の記憶を思い出しながら。

「今日はどのようなお話を聞かせてくれるのですか?」
 バーバラはスピルに会いに秘密の抜け道を通り森へとやってきた。
 空は黒い雲に覆われていて、時折、雷鳴が聞こえ、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だ。
「今日はあまりお空の機嫌がよろしくありません。長い間外にいることは難しいですよ?」
「実は、バーバラ様にお願いがございまして……大丈夫です。すぐに終わりますから」
「……わざわざこのような場所に来るなんて、誰にも聞かれてはいけない大事なお願いなのですね」
「はい、それは……」
 そう言ってスピルは手に持っているものをバーバラに差し向けた。
「うっ……!」
 するとその体から光が漏れていき、相対する者の手元に吸い込まれていく。
 全身から光が漏れていく。同時に苦痛が体を襲い、地面に手をつかずにはいられない。
 花びらのような唇が膨れ上がる。
 瞳から輝きが失われていく。
 なめらかな皮膚にひびが入る。
「スピル、何……を……?」
 その者の表情は読めない。
 歪んだ顔がひざまずく姫を見おろす。
(なぜ……何故ですか……スピル……)
 雨に打たれながら、その視界は少しずつ暗くなっていく。
 途絶える直前、最後に見た光景は、
(何故……あなたが泣くのです……)
 友の頬に雫が一つ伝う瞬間だった。

それからしばらく後。
 バーバラが目を覚ました時には夜が明けており、スピルは姿を消していた。
「うぅ、私はいったい……」
 起き上がろうとしたとき体に違和感を覚えた。
 視線が高い、体が重い。
 そしてその目に映る自分の手。それは毒々しい色をし、集合体のような鱗が敷き詰められ、醜く膨れ上がり、触れるものすべてを傷つけるような鋭い爪が生えている。
「………っこれは⁉」
 手だけではない。
 体すべてが自らのモノではなくなっている。
 困惑しているその耳に木の葉の擦れる音が聞こえてくる。
「っ!」
 慌ててそちらへ振り向くと、見回りをしている衛兵であった。
「ああ、よかった少しよろしいでしょ───」
「ひっ! バケモノ⁉」
 まずは驚愕。
 そしてその目は混乱を抱いている。
 次第に状況を理解し、恐怖を宿す。
 顔が青ざめ、脂汗が顔中を埋め尽くす。
「うわああぁあ! ドラゴンだー⁉ た、助けてくれぇええ!」
「あ、お待ちを!」
 しかしその声は届かずその衛兵は脇目も振らずに、躓きながら走り去った。
「あっ……」
 遠ざかる背中を見送る。声を掛けることは出来なかった。
「私を見るあの目……」
 初めてであった。
 生まれてから姫はその立場、美しさと明るい性格から、蝶よ花よと扱われてきた。
 誰もが姫に親愛の意を抱き、慈しみを持って接し、
 それが今のはどうだろうか。
 恐れ、負の感情をこれほどまでにぶつけられたことはない。
「今の私はどうなってしまったというの」
 バーバラは辺りを見渡す。
 気を失っている間、天候は悪かったようで大きな水たまりを見つけた。
 恐る恐る自らの顔を映し出すと、そこにいるのはおぞましい竜だった。
 巨体、顔まで大きい。巨大な口に凶暴な牙。ギョロギョロとした目。そこに細く鋭い瞳孔。敷き詰められた鱗は集合体のよう。
「ああ、なんてこと……」
 思わず顔を背けてしまう。
「これが私だというのですか……なんと恐ろしい……」
 そして脳裏にこびりついた先ほどの表情。
(嫌……このような姿を見られたくない……)
 竜は大きな体を縮こまらせて、身を隠せる場所を探した。
 そしてたどり着いた場所が森の奥にある洞窟だった。竜は誰にも見られぬようにそこへ逃げ込み縮こまることを選んだ。

「ここが宝物庫か」
 迷路のように広大な城を衛兵たちに見つからないように歩くのは骨が折れた。
 たとえ見つかったとしても電撃銃で無力化すればよいのだが、そうなった場合は倒れている者をどこか別のところに移して見つからないようにしなければならない。
 それははっきり言って手間である。
 タンサは辿り着いた立派な宝物庫の外観を眺める。
「何者だ」
 低く厳かな声がタンサの耳に入る。
 体は全身甲冑に身を包んでいて、その片方の手には鋭い槍が、もう片方には盾が握られている。
 宝物庫の番人と一目で理解できる。
 そのうえ目の前にいる番人は人でありながら、身長百四十センチメートルのタンサより倍ほど大きい背丈をしていた。
「初めまして。僕はタンサ」
 帽子を脱いでお辞儀、正々堂々たる挨拶。これもまた美である。
「初めまして。ここに来て『迷子なんです』は通用しないぞ」
 番人の槍を持つ手に力が入る。
「大丈夫だよ。道を覚えるのは得意だから間違ってないと思う」
「ならば何しに来た」
「少し用事があるんだけど、入ってもいい?」
「いきなり現れて宝物庫に入れろだと? なんと堂々とした賊だ」
「鍵束がここにあるって聞いたんだけど……ちょっと貸してくれないかな?」
「鍵だと? 城全ての扉を開ける権限を寄越せとは、恐ろしく欲が深いな」
「そういうわけじゃ……」
「貴様に渡せるのは引導だけだ。覚悟しろ盗人め」
「そうじゃなくて地下室! 地下室に行きたいんだよ」
「地下室は今バーバラ様が療養なさっている部屋だ! 何をするつもりだ貴様! 絶対に行かせるものか!」
 番人は腰を低くして槍を構え、猪突猛進を体現するように堂々とした侵入者に向かって突撃した。
「そうじゃないのに!」
 槍を躱して電撃銃を相手に向かって放つ。
「小癪な」
 衛兵は大きな盾で電撃を防ぎ、電気は呆気なく霧散した。
「妙な術を使う……さては貴様あの魔女の仲間だな?」
「違うよ」
「バーバラ様の危機を狙って宝を奪えと命令されたか。あいつのことは初めから怪しいと思っていたのだ。まさか仲間を呼ぶとはな」
「違うって!」
「貴様を捕らえてあの魔女も捕らえてくれる!」
「聞いてよ!」
「聞く耳持たん! 覚悟しろ!」
 厳めしい番人は風のように襲い掛かる。躱す間もない。
「くっ」
 シールドを張り槍を防ぐ。
「む、なんだこれは」
 初めて見るシールドに困惑する番人は力づくで破壊しようと何度も何度も槍を突き立てる。
 しかし、シールドには傷一つ付くことはない。
(よし、このまま隙を伺って……)
 と、考えていた突如、少年の小さな体に浮遊感が与えられた。
「え?」
「これならどうだ!」
 何が起きたのか一瞬理解することができなかった。
 だが浮き上がった体の下を見て把握した。
 番人はシールドごとタンサを頭の上に持ち上げている。
 対象が地面に立っている時にはドーム状だったシールドが、体が持ち上がった今では球状になっている。
 そして、そのまま番人は球体となったシールドを壁に向かって放り投げた。
「うわぁ!」
 シールドは壁にぶつかり波紋状の電気を流しながら光を発する。
 中にいるタンサは壁にはぶつからないが、シールドの中で振り回されている。
 電力に変換しきれなかったエネルギーは熱に変わりシールド内を温めた。
 熱がこもらないようにシールドを解除する。
(衝撃には強いシールドがまさか投げられるなんて。賢い動物では試したことがないから知らなかった)
 番人は離れた距離ですでに槍と盾を持って構えている。
(電撃銃はあの盾で防がれる。シールドを張れば投げてくるつもりみたいだ)
「よし、だったら……」
 改めてシールドを張って待ち構えた。
「しょせん子どもだな。恐れをなしたか」
 番人は再びタンサに近づいてシールドを持ち上げた。
 次の瞬間、
「今だ!」
 シールドを解除した。
 入れ物がなくなれば持ち上げることはかなわない。
 入れ物がなくなれば中の物は自然と落ちる。
 落ちながら無防備な巨体目掛けて電撃銃を放った。
「ぬぅ!」
 盾を構える暇は与えない。電撃は直撃し、体は痙攣を始める。
 やがて膝を付き、上半身は切り倒された幹のように倒れ、うつ伏せになったままその大きな体は動かなくなった。
 着地して番人の様子を確認する。
「よかった。上手くいった」
 完全に気絶している。
 安心して宝物庫の冷たく固い扉の前に立った。
「それじゃあ、お邪魔しま……あれ?」
 開く気配がない。扉には鍵がかかっている。
「これは、困ったぞ」
 扉を軽く叩いてみる。
 その感触は鉄や鋼などよりもずっと固かった。
「宝を入れてる部屋だもんね。それはそうか」
 気絶させた相手のそばに駆け寄る。
「ねぇ、おじさん。鍵持ってる?」
 巨体は反応しない。物言わぬ扉と同じくらい静かだ。それもそのはず、気絶しているのだから。
「ダメだ、先に聞いておけばよかった。どうしよう」
 扉の前に再度立ち。首を捻る。
「う〜ん……今は仕方ない、よね?」
 そう自分に言い聞かせると、力を込めてその扉を勢いよく押した。
「えいっ!」
 扉は蝶番ごと吹き飛び、宝物庫の入り口は強引に開かれた。
 惑星探索型人間はその小さな体で、瞬間的に数トンの力を発揮できるように作られている。
「それじゃあ、気を取り直してお邪魔します」
 金銀財宝が山のように保管されている中から鍵を探したタンサであった。
「……あれ、地下室の扉もこうすればよかったんじゃ……? ……まぁ、いっか。この星では僕は部外者。お行儀よく、お行儀よく。これは仕方ないだけ……後でバーバラに謝らないと」
 余計な苦労、あるいは不正を働いた心中を誤魔化しながら、宝物庫を後にした。

宝物庫を守る強靭な衛兵をやり過ごしたタンサ。鍵の束を手に再び地下室へと向かった。
「違う……これも違う。これも、これも……」
 あいも変わらず閉ざされている扉の鍵穴に、束から選んで、正解を探す。カチャリと、小気味良い音が鳴る。
「やっと開いた」
 ハズレだらけの鍵束に恨みのひとつでも言いたくなった。
 ドアノブに慎重に手を置き回す。
 扉は鳴き声のような音を立てながら、ゆっくりとその口を開いた。
「誰⁉︎」
 扉の軋む音に反応して振り返る影。それが部屋の端に座っている。手を伸ばしても決して届かない、試すまでもない距離。
 その影の奥には美しくきらびやかに輝く花が一輪だけ飾られている。子どもの頭くらいの大きさの鉢に植えられていた。
「本当に誰……? ど、どうやってここに……」
 花の前に立っている影は未だに動揺を隠せずにいる。
 フードを深くに被り、是が非でも顔を見せまいとしている。
 背丈はタンサと変わらないか、少し大きい。しかし顔を隠そうとしているためか、俯きながら腰を丸めている姿から、こじんまりとした印象を受ける。
「初めまして。僕はタンサ」
 帽子を脱いで挨拶を交わす。惑星探索型人間は挨拶の回数に制限を設けられてはいない。
「あ、ご丁寧にどうも……」
 思わず困惑、慎ましく会釈。
「君がスピルかい? バーバラのモノを返してもらうよ」
「な、何故そのことを……! こ、これは、渡さない! 渡せない! 渡すものか!」
 スピルは慌てて輝く花を両手で抱え込む。
 抱え込んだことで花から光を当てられて顔が見える。
 皮膚が垂れ下がり、顔中の骨が激しい主張をして歪な輪郭をし、沈みきったまぶたからは黒目だけが見え、大きく低い鼻とアンバランスで、腫れあがった唇は顎の下にまで届くほどだった。
 顔全体を覆うほどにニキビが吹き出して、赤くなっている。
 いやそれをニキビと称していいだろうか。
 致死性の毒を持った虫に刺されたように膨れている。
 それは例えるなら顔中を敷き詰める活火山。
 皮膚表面を赤く膨れ上がらせて、膿のマグマが今にも噴火しそうな状態だ。
 と思えば皮膚病のようにシミが滲んで、黒茶色に淀んでいる。そして顔が岩のように凸凹している。
「わっ……」
 ちらりと見えたその顔に、思わず面を食らう。
 その表情はスピルの神経を逆撫でする。幾度となく向けられてきた視線だからだ。
「その目、やっぱりその目だ……そんな目で私を見るなぁっ!」
 スピルは片手に花を抱え、空いた手を唐突に現れた失礼な侵入者に突き出す。
 その手からは緑色の粉が飛び出し、タンサの方角に向かって放たれる。
 その粉に呼応するように、脇に置いてあった植物が太いツルを暴れさせた。
「わぁっ!」
 それを防ぐために急いでシールドを張る。それによりツルは弾かれた。
「これってもしかして……」
 この自然のムチにタンサは覚えがある。
 獣を投げ飛ばした時に粉に呼応して暴れまわっていたものだ。
「なっ!」
 シールドは当然この惑星の者にとっては未知の力だ。
「なに……それ? うっ……あぁかゆい、痛い……」
 表情を大きく変えたことによる衝撃でその顔中に張り巡らされているニキビが破れ、血や膿が顔を伝っている。
「さぁ、返してもらおうか。人のものを盗るのは悪いことだよ」
「いきなり現れてお説教しないで!」
 尚も粉を放ち、少年を襲う。
「話し合いは……難しそうかな」
 シールドで暴れるツルを防ぎ、機会を伺う。
 幹をなぎ倒すほどの威力がおびただしい勢いで打ち付けられる。
 シールドが壊れる様子はない。
 しかし、エネルギーに変換できなかった熱が内部にこもり続ける。
 それは灼熱を耐える惑星探索型人間だからこそ無事でいられるほどの高熱だ。
「不思議な力……なんなのあなた……?」
「僕は惑星探索型人間だよ」
「何……それ……? う、うぅ、ううう! あああっ!! 痒いかゆい痒イカユイ!」
 なりふり構わず顔を掻きむしり、顔から血が垂れる。
「ムカムカする! イライラする! ああああ!」
「……だ、大丈夫?」
 怒りに任せて部屋にある植物全てを暴れさせ、少年に向けてとにかく乱雑に打ち付けた。
 それをシールドで防ぐが、嵐のような勢いで絶え間なく襲ってくるために反撃の隙がない。
「……ふぅ、さすがに熱くなってきた」
 しかし、その猛攻も長くは続かなかった。
 植物を暴れさせていた不思議な粉がなくなってきたからだ。
 次第に植物は落ち着いてくる。
 タンサはシールドを解いてスピルに向かって歩み寄った。
「さぁ、もういいよね?」
「……いや……いや……! こないで!」
 スピルは手を振って意思表示をする。
 その手には粉がわずかに残っていた。
「危ないっ!」
 粉に反応した植物がスピルを目掛けて打ち付けられた。
 反射的にしゃがみ目を閉じる。
 しかしいつまでたっても痛みが来ることはなかった。
 不思議に思ってうっすら目を開いたその目に映ったのは、自らよりも小さな体の少年がスピルを庇い、その体でツルを受け止めていた。
「うっ、いったぁ……」
 その顔は苦悶が浮かんでいる。
 当然のことだが、普通の人間が受ければ上半身と下半身が離ればなれになるような威力だ。
 いかに惑星探索型人間といえども苦痛は相当のものである。
「あなた、どうして……?」
「あれを使うと熱さで君が大変なことになっちゃうからね」
「そうじゃなくて! どうして私を庇ったの……?」
「さっきから言ってるけど、僕はバーバラのモノを返してもらいたいだけなんだ」
 その言葉と共に手が差し出される。
 掌を上に向ける優しい手だ。
「バーバラのところに謝りに行こう。きっと大丈夫だから」
 その手を見つめたのち、俯き悩み、葛藤する。
 そして少年に向かって手を伸ばし、
「……イヤッ!」
 体を押しのけて、花を抱えたまま部屋を飛び出した。
「あ、待って!」
 追いかけようとしたが走り去るスピルから粉が舞ったのか植物たちが乱れだした。
「ああ、もう」
 落ち着くまで立ち往生させられる。その手を取ることはかなわなかった。

少女は生まれた時にはこんな惨めな思いをするような姿ではなかった。どちらかと言えば可愛いほうだった。
 お喋りが得意なわけではなく、大人しかったから友達は多くはなかったが、それなりの人付き合いはできていた。
 ある日、一緒に遊んでいる男子が、木の根に躓いて転び、膝を擦りむいた。膝からは真っ赤な血が滲んでいて、その少年は目に涙をためていた。
「大丈夫⁉︎」
 少女は少年に駆け寄り傷を見た。怪我を負っていない自分にまで痛みが伝わるような気分だった。
「これ、この葉っぱを傷口に当てて、そうすれば痛みも楽になるよ」
 そばに生えていた薬草を水で軽く洗い、血の滲む膝に優しく当てた。
 少年は膝の痛みに歯を食いしばる。
 しばらくして痛みが引いたのか、少年の表情が少しずつ和らいでいく。少年は立ち上がった。
「ありがとう、もう大丈夫」
「よかった」
 元気を取り戻したその少年を見て少女も安堵した。
「それにしても凄いね」
「え?」
「痛くなくなった、本当に凄いよ!」
「え、あ……そ、そうかな」
 少女にとっては自分が聞いたことを実践しただけにすぎない。だからこそ『凄い』というのはすぐには理解できなかった。
 ただその言葉がくすぐったくて、それでも悪い気分はしなかった。
「うん! なんで分かるの?」
「昔、お母さんに教えて貰ったから」
「他には、他にはどんなのがあるの?」
 少年は興奮気味に尋ねた。
「え、えっと、私もそんなに詳しいわけじゃなくて、あと知ってるのは、願いを叶えてくれる花とか」
「花が願いを叶えてくれるの? どんなことも?」
「本当かどうか分からないけどね。ドラゴンが現れてキレイな女の人を連れて行っちゃうの。その代わりにその花を置いてくんだって」
「え〜怖い!」
「それと他にも森の中には気を付けたほうがいいのもあるって」
「気を付けたほうがいいもの?」
「うん、強い毒を持ってて、体が呪われちゃうんだって」
「うえぇ」
「だから森では気をつけなくちゃって」
「へぇ~知らなかった!」
 先ほどまで泣きそうな顔をしていた少年は明るい笑顔になっていた。
 目を輝かせて、キラキラとした瞳からは憧れのようなものを感じた。
 その顔を見て、少女もつられて嬉しくなった。それと同時にこのような考えが湧いてきた。
(もっと勉強しよう。詳しいのは凄いことなんだ)

それから少女は植物への関心が増し、様々な物に触れるようになった。それは十歳になる前のことだった。
 それからしばらく、植物について詳しく調べた。食用や薬用、音を奏でたり、踊るように動く物もあれば、毒を持ったものまで。
 常に植物ばかりに気を取られていて、周りの子供たちからは変わり者に思われ、多少距離を置かれるようになった。
 それでも気にしなかった。楽しかったから。
 ───しかし、不幸は突然に訪れた。
「ふん、ふん、ふ~ん」
 鼻歌を歌い、脇には図鑑を挟んで、いつものように森を歩き回る。
 森は植物の宝庫だ。図鑑と照らし合わせながら眺める。
「あ、これは触っちゃだめなやつだ。えぇっと……」
 図鑑に載っている説明を詳しく読むと、主な症状として肌荒れと記載されている。
 肌に付着した細菌が無尽蔵に数を増やし、毛穴の中で活動することにより肌の炎症を促す。
 命への支障はないものの、細菌の繁殖速度が医療技術を置き去りにするため、現在ではその症状を緩和する手立てがない。
 素手では決して触ってはいけないと書かれている。
「うわ……解説を読むだけでも顔がムズムズしちゃう。離れておこっと」

そのまま森の奥へと入ってった。
「おっと」
 木が増えていくに従って、地面から顔を出している根も増え足場も悪くなっていく。
「これはなんだろう、初めて見る」
 そこにある一輪の花は決して綺麗と言えるものではなかった。みすぼらしく、色もくすんでいた。
 近づいて花を摘み取ろうとした時、少女の体から光が漏れる。
「え、何……!」
 漏れた光は花に吸収されていく。それだけではない。
「イヤッ!」
 慌てて花から離れる。
「爪が、割れてる」
 光が吸収されると同時に爪が一つ割れた。
 花は奪った光を吸って輝き始めた。
「不思議な花……」
 ───ガサガサ。
 見惚れていたら視界の端に、何か大きな動物の影が見えた。
 瞬間的に首がそちらに向いた。
「ッ!」
 心臓が大きく跳ね上がる、
 大慌てで躓いて四つん這いになりながら、木の陰に隠れた。体から枝が生えている大きな獣がゆっくりと歩いている。
(あれはジュモクグマ……⁉︎ ど、どうしよう……。気付かれる前に逃げなきゃ……!)
 しかしその慎重な考えは、イタズラに合うように霧散する。
「痛ッ!」
 冷静さを欠くその足は、容易く木の根に引っかかる。
 盛大に転ぶとともに声を漏らして、音も立ててしまう。
 とすれば、野生の生き物が気付かないはずがない。
 ジュモクグマは少女に向かって歩みを進め始めた。
「に、逃げなきゃ!」
 後ろを振り返ることすらできない。
 体の全てを冷や汗が包み込む。
 痛む膝さえ気にする余裕はない。
 まるで悪夢に追いかけられているようで、足が思うように動かない。
 近づいて来ているのかどうかなど、分からなくてもいい。とにかく逃げる。
 再度転ぶ、転んでしまう。
 それこそが不幸の入り口。
 転んだ先はあの花だ。
 しかし今はそんなことを知る由もない。余裕もない。
 立ち上がりながら走る。
 森から抜けるために。
 幸いにもジュモクグマは途中で追うのを止めていたため、襲われることはなかった。
 しかしその翌日。
 眠りから目を覚まして異変に気付く。
「かゆい……」
 体を起こし鏡を覗く。
「これだ……ポツポツができてる」
 頬に小さなニキビが一つ、ぷっくりと自己主張をしていた。
(まあ、すぐ治るでしょ)
 何を考えることなく、少しだけ丁寧に顔を洗うとその日は早く眠ることにした。
 その日はそれで終わった。
 ───だが、
 翌日、翌々日には倍、そのまた倍と額に顎に鼻に瞼に唇と、その忌まわしい呪いは数を増やし、領地を広げ赤く染めていった。
「どんどん増えてる……かゆい……痛い……」
 日に日に悪化する症状。
 それはかゆみ、痛みという単純な苦痛だけではない。
 かゆみによる集中力の低下。
 その痛みによる目覚めが引き起こす慢性的な睡眠不足。
 頭は常に霧がかかったようにぼやけて。
 些細なことでも腹が立つ。
 世の中すべてが暗く見えてくる。
 もちろん何もしないわけではない。
 いつもよりも時間を掛けて念入りに顔を洗う。
 親に相談し、医者に罹る。
 薬を飲み、塗る。
 神にさえ縋る。
 嫌いな自分の数だけ神を探す。
 しかし、そのことごとくが症状を緩和させる一手にはならなかった。
 やがてそれは黒、青紫に変色し、入れ墨のように広範囲に刻まれていった。
 そこで不意に思い出す。ジュモクグマから逃げた日のことを。
 当日は慌てていたため、翌日は安堵のためすっかり忘れていたことを思い出す。
(まさか……あの花に……)
 顔が次第に変わっていく。

「ちょっと! 何してるの⁉」
 夜中寝ていると、物音がして台所を覗いた母親。
 それは衝撃の瞬間。
 娘が包丁を手に取って、その鋭い刃を自らの顔に当てようとしている瞬間だった。
 慌ててその手を掴み抑える。
「放してよお母さん! この皮膚全部剥ぎ取るんだから! そうすればこのかゆみも痛みもきっと治るんだから!」
「馬鹿を言うのをやめなさい! 治るわけないでしょ! お父さん起きて! お父さん!」
 寝室から現れた父親が娘を押さえつける。
 力のない少女は抵抗することさえ許されない。
「う……うぅ……もう……いやぁ」
 少女の涙がその頬に染みる。

顔が変わるに連れて、周りも変わっていく。
 初めの頃は気を使って、誰もその顔には触れなかった。
 しかしあからさまに視線が避けている。
 日に日に化物に変わっていく顔を見られなくなっていく。
 本人も見せたくなくなっていく。フードを深く被るようになり、顔を見られないように下を向き、背は丸まっていく。
 そうして、誰も、少女自身も、元の顔など忘れてしまったころ。
 少年が遠くで転び、膝から血を出している姿を見た。
 少女は咄嗟に駆け寄る。
「だ、大丈夫……? これこの草を傷口に当てたら楽になるよ」
 そう言って少年の膝に触れようとした瞬間。
「やめろ!」
「痛っ!」
 その手が振り落とされ、手に持っていた植物を落としてしまう。
「どうしたの……? 酷い怪我だよ……」
 少年は膝から血を流しながら、歯を食いしばりながら立ち上がる。
「触るな! 気持ち悪いんだよ! この魔女!」
「ッ!」
 その顔をにらみながら怒鳴りつけると、走って消え去ってしまった。
 その言葉はさながら総攻撃の合図だった。
 今まで距離を取るだけだった周りは、それを切っ掛けにあからさまな敵意を隠すことがなくなる。
 罵声を浴びせられ、足を掛けられ、石を投げられる。
 その姿を誰も憐れむことはない。
 なぜならそれは魔女退治という行為だから。
 善行だから。
 楽しいから。
 人というものは単純だ。
 自分より強そうな化け物には恐れおののき逃げ出すが、自分より弱そうな化け物は徹底的に叩きのめす。
(どうして、どうして……? 私が何をしたというの? もうイヤ、誰も私を見ないでほしい)
 少女は魔女になった。
 魔女は孤独になっていった。
 その心がすがれる先は植物だけだった。

魔女は人前に出ることがなくなり、家と森を行き来するだけの生活になった。
 食事は親が部屋の前に置いてくれる。
 それを一人部屋に持ち込んで、胃袋に流し込むだけだ。
 食べ終えたら親に顔を見られないように片付ける。
 親の顔ももうしばらくは見ていない。
 魔女も見られたくなかったが、親も娘の顔を避けていた。
 もはや何をしていてもいいから、顔を見せないでほしいとでも言うように。
 その無言の圧力にこたえるように今日も森に出向く。

その日は少し森の様子が違った。
 魔女が森に行くと見慣れぬ華やかな少女の姿があった。
 華やかな恰好、そして彩り豊かな花たちさえ霞む美しい容姿。
 しゃがみ込み花に手を伸ばしている。
「っ! ダメ!」
 魔女は少女に駆け寄り突き飛ばした。少女は小さな悲鳴を上げて倒れた。
「な、なにをするのです!」
「その花に触っちゃダメ! 私みたいになりたいの⁉」
 魔女はフードの下を見せて叫んだ。
 少女の視線が顔に突き刺さる。
 耐え切れず視線を逸らした。
「……醜いでしょう。こうなりたくないなら無闇に触らないほうがいいよ」
 フードをかぶり直し、踵を返し醜い自分を遠ざけようとする。
「あの! ありがとうございます」
 その言葉に足が瞬間止まる。
 だが再び足を運びだすと、
「お、お待ちください! お礼を……お礼をさせてください」
 少女は呼び止めた。
「いらない」
「そんな、何かさせてください」
「……私の顔を治してくれるとでも言うの? お医者さんにもできないんだよ。それとも私の代わりに神頼みでもしてくれる?」
「……」
 魔女は少女を置き去りにその場を後にした。

翌日。
「やはりここに来れば会えると思いました」
 同じ場所に同じ少女が立っていた。
「どうして……? お礼ならいらないって言ったでしょ」
「はい。なので個人的なお願いをしに参りました」
「……何?」
「あなたとお友達になりたいのです」
 少女はこともなげに言った。
「……何それ、同情のつもり?」
「そんなつもりは微塵もありません。あなたと仲良くなりたいのです」
「……」
 少女は改めて挨拶をした。
「私はバーバラと申します。あなたは?」
「……バーバラ……バーバラ? まさか……バーバラ姫様⁉」
「いかにも、私は姫のバーバラでございます」
「どうして護衛も付けずに……?」
「堅苦しいですから。たまには自由になりたい時もあります」
「……申し訳ありません。無礼な口をきいてしまっていました」
「そうかしこまらないでください」
「しかし……」
「あなたは今日から私のお友達、ですから」
「そんな強引な……」
「さぁお名前をお聞かせください」
「……スピルです」
「スピル……素敵なお名前ですね」
「……やはり私なんかが友達になど」
「いいえ。もう決めましたので」
(……押しが強い)
 断られることなど頭の中に欠片も思い描かない。純粋な好意。愛に満たされて育ったバーバラにとってはそれは特別なことではない。
(そうだよね、こんなに綺麗なんだもの)
「……分かりました。私なんかでよければ」
 スピルも例外ではなかった。淀みのない瞳に見つめられると叶えたくなってしまう。
「本当ですか。ありがとうございます!」
 そして、この花咲く笑顔。
(ああ、一度見てしまえば誰だって親切になってしまう。次もまた見たくなってしまう。だから愛されてるんだろうな)

それからバーバラはスピルに会いにくるようになり、ある日スピルを城へと招待した。
 もちろんスピルは断った。三度断った。しかしバーバラの落ち込んだ表情に心を痛め、罪悪感を抱き、考えが揺らぎ、少しだけならと了承した。
 そしてバーバラが笑顔を咲かせる。今までにないほどに。
(バーバラ様の親切はとどまることを知らない)
 招待されて城へ。
(しかし、それはきっと愛されているから)
 遊びに誘われては隣を歩く。
(愛されるのはその美しさから)
「チャティ。ごきげんよう」
「バーバラ様、また抜け出してきたのですか? お城の人たちにとやかく言われてしまいますよ? 俺は大歓迎ですけど」
「私のことを思ってくれているのはわかりますが、皆は心配しすぎなのですよ」
「ところで、そちらの方は……?」
「私のお友達のスピルです」
「バーバラ様の……! どうも初めま……っ! ……し、てチャティ……だ」
 明るい店内ではどれほどにフードを被っていたとしても、その顔を隠しきることなどできるわけがない。チャティの視線が物語っている。
 それでもスピルはフードを深くかぶりなおして「……どうも」と小さくつぶやいた。
「……スピルは少し、その、恥ずかしがり屋なのでその……」
「ま、まぁその……ところでお茶を飲みに来たのでしょう? 淹れてきますよ」
「ええ、いただきます。スピルも一緒に」
「……わ、私は……遠慮しておきます」
 スピルは喫茶店を出た。
「スピル? もうしわけありませんチャティ。お茶はまた今度に」
「あ、え、ええ……またいらしてください……」
 また別の日。
 バーバラの誘う場所には人目が必ずある。
 そして並んで歩けば必ず二人を比べる声が聞こえる。
「スピルもたまには明るい服で着飾ってみてはいかがですか?」
 そう言って薦める服は鮮やかな装飾を施された可愛らしい服。
 薄汚れた灰色の服をいつも纏っているスピル。
 美しい服は美しい者に着られたいように見えるから。
「私は……いいです」
「……そうですか。ではこちらは……」
「私には本当に似合いませんから……」
 スピルには伝わっている。
 バーバラの親切は善意で満たされている。皮肉や嘲笑の意味を持っていることは絶対にありえないと。
 たとえ悪戯心があっても自分に近寄るような存在はいない。神にさえ見捨てられたこの姿なのだから。
 今のスピルにとってバーバラの優しさは神が跪くほどだった。
 だからこそ辛かった。
(バーバラ様はこんな私にもお優しい。パッと花開くような笑顔が可愛らしい。美しい……綺麗、綺レイ、キ麗……キレイ……)
 少女の隙間に魔が差し込まれる。
(もしもその姿を失ったら……)
 魔女の頭に浮かぶ考え。
(もしも私にそれがあったなら……)
 わかっている。
 それを実行することは許されない。
 何をすべきで何をしないべきか。
 わかっているというのに、止められない。
 頭の中が言い訳に埋め尽くされて動き続ける。
 心の中に潜む飢えた獣が、目の前の肉を食らえを囁き続ける。

「今日はどのようなお話を聞かせてくれるのですか?」
「実は、バーバラ様にお願いがございまして……大丈夫です。すぐに終わりますから」

スピルは走った。目に汗が入ることさえ気にせずに。
 スピルは走った。後生大事に被っていたフードが外れてもそのままに。
 スピルは走った。避けていた人前さえも横切って。
「うげ、魔女だ」
「なんておぞましい顔をしているんだ」
「気持ち悪い」
 魔女が走れば、そこだけ空間ができる。
 魔女が走れば、誰もが道を譲る。
 魔女が走れば、その姿を誰もが嫌悪する。
 魔女が走れば、その姿を誰もが嘲笑う。
「必死に走って気色悪い」
「走り方まで醜いのね」
「同じ人間とは思えない」
 眼前では驚愕と困惑と嫌悪の顔が向けられる。
 背中からは暴言と侮辱と嘲笑が浴びせられる。
 永遠にも感じられる長い廊下。
 明るい装飾さえも全てが暗がりに見える。
 バラの庭園のように美しい城内も、魔女にとっては茨の森より棘の道だ。
 傷つけて、奥深くに刺さる。
 抜け道を探して彷徨う、ただ彷徨う。
 光を求める虫のように。
(苦しい……)
 体が悲鳴を上げるほどに鼓動が激しい。
 激しい汗が顔中を埋め尽くす。
 開き続けた口から唾液が絶えず流れる。
 心無い声が胸を裂き、涙が溢れる。
 手を染めてまで手に入れた光は今ではくすんで見える。
 本当の光はどこにもない。
「う、うぅ……」
 それでも魔女は走った。
 その後ろをタンサは追いかけた。
 すれ違う衛兵や使用人の目を搔い潜りながらであるため、見失わないように追いかけるのが精いっぱいだった。
 廊下を突き抜け、階段を這い上がり、必死な魔女が最後に辿り着いたのは屋上だった。
 街どころかその外まで一望できるほどの高さだ。
 美しい花畑もその先に広がる森までが色としか判断できないほどに遠い。
 強い風が頬を叩く。
 その先に進むことはできない。
 タンサも遅れて到着する。
「やっとだ。もう逃げられないよ」
 際に立っている相手に向かって少しずつ歩みを進めて距離を詰める。
「い、嫌だ! 渡すくらいなら……私はコレと一緒にここから飛び降りる!」
「こんなところから落ちたら、痛いじゃすまないよ。僕でも」
 尚も意固地である。下を見れば足がすくみ、汗で手がぬめる。当然承知の上で叫んでいる。
 一触即発。一歩でも前に踏み出せば、それを合図に落ちようとしているのがわかる。
「もうやめよう。こんなことをしても何にもならないよ」
「あなたに何が分かる! 私は……この顔のせいで人として扱ってもらえないの! ずっと……ずっと! 顔が変わってから! 『私』が変わる前から! 分かる⁉ 私はね、息をしてるだけで笑われるの! 足で歩いてるだけで石を投げられるの! ま、ま…………魔女だから!!」
「……そんな、分かってくれる人はいるよ」
「ええ! いた! 確かにいた! そんな唯一の救いを裏切ったの! それなのに結局最後まで裏切り切れずにいる! 幸せを奪っておきながら自分の幸せに当てることすらできない! 中途半端で宙ぶらりんな救いようのないみじめで醜い心の持ち主なの!!」
「そこまで言わなくても……きっと今は辛い気持ちが強いだけだよ。落ち着くまで待てばきっと前向きになれるから……」
「落ち着くって何⁉ いつまで待てっていうの⁉ 綺麗事を言わないで! ああそう、あなた綺麗な顔してるものね。綺麗な顔だから言葉も心もさぞ綺麗でしょうね! 私みたいな醜い女には醜悪な心がお似合いなんだって! そうやって誰もかれも見下して! バカにして! 愚弄して! ムカつく、ムカつく! ああああ! かゆいかゆいイタイ!」
 怒りに任せて顔を掻きむしる。血が頬を伝い滴り落ちる。
 説得の言葉が見つからない。
 どうしようもないタンサの頬に冷や汗が伝う。
 刹那の静寂。
 風が静寂を連れ去る。
 力のない声。
 微弱な声。
 かすかな声が風の隙間から耳に入る。
「……………………もう、いいや」
 その言葉の直後。
 魔女は
 落
 ち
 た
  。
 その光景はわずかな時間。

しかし そのしゅんかんは すろ~~~も~~~しょん。

い や 、 ス ト ッ プ モ ー シ ョ ン の よ う だ っ た。

「なっ!」
 慌てて駆け寄る。
 下をのぞけば地面まで片道切符で真っ逆さまの状態だ。
 衝突すれば落ちた正体の判別すらできないほどに原型は崩れ去ることは必至。
 考える時間はない。
 タンサは飛び落ちた。
 自然落下では間に合わない。
 壁を蹴って、
 下へ、
 下
 へ
  。
 落
 下
 速
 度
 を
 速
 く
  、
 よ
 り
 速
 く
  。
 壁
 を
 伝
 い
 駆
 け
 落・
 ち・
 た・
  。


 て
 が
 上
 に
 高
 速
  。


  。


  。


  。

そして落ちる対象の側へ。
 惑星探索型人間が本気を出せば落ちるよりも速く壁を駆けることもできる。
 急速降下で追いつき絶対的な肉体そしてマイクロチップにより自らと対象の落下速度を正確無比にその誤差をゼロに同調させ包むように抱きかかえる。
 それはつまり極限の状況で行う、人の力を超えた寄り添いだ。
 その体を抱きかかえてシールドを張る。
 球体の膜が二人を包んだ。

それは隕石のように街に落ちる。
 着地の衝撃により目もくらむような強烈な光が街に広がる。
 エネルギーが変換からあふれたら、灼熱という言葉が生ぬるいほどに熱くなる。故にその直前───
 タンサはシールド解除する。そして抱きかかえた相手を庇うために衝撃の全てをその身に受けた。
 腕に抱いているものがたとえ卵であったとしてもヒビひとつ入ることがないだろう。
 二人が落ちたところは広場、幸いにも人はいなかったが、異変に気付いた者たちが広場の方へとやじ馬として集まってくる。
「なんだなんだ」
「広場で何があったんだ」
「ひぃ! 魔女だ!」
「今のも魔女の仕業か!」
「あの少年も魔女の仲間か!」
 人々は口々に声を出す。中には石を拾い構える者もいる。
 次第に広場は騒々しくなり、視線はさらに増え、囲いができる。
 そんなことなど気にする余裕のない渦中の者たち。
「……口から心臓が出るかと思った……大丈夫?」
 その腕に包まれている相手に声をかける。
「……」
 表情はいまいち分からないが、何が起きたのか理解できずに放心している様子だった。
「よかった……無事みたいだね」
 安心して立ち上がる。
「立てる?」
 状況を理解できていなさそうな相手に向けて手を差し出した。
「……ふ、ふざけるな!」
 しかしその手は払いのけられ、座り込んだ状態で命の恩人の体に拳がぶつけられた。
「英雄にでもなったつもり!? ……どうして助けたの! どうして死なせてくれなかったの!」
 魔女は何度も何度も叩いた。
「怖かった…………もうあんなことできない……最初で最後のなけなしの勇気だったのに……!」
 小さな拳がタンサの体に打ち付けられる。
 その作られた肉体にはその程度の力を痛みとしてとらえることはない。
 それどころか打ち付けている拳だけが傷ついていく。
 それでもその拳の雨が止まることはなかった。
「私はもう……こうするしかなかったのに……」
 魔女の頬に涙が伝う。
「無責任に助けないでよ…………」
 叫び、枯れた声で絞り出された声を発し、力なくうなだれてしまった。
『ごめんね』
 問い詰められた口からその言葉が出ることはなかった。
 何度同じことをしようとも、同じように助けるからだ。
 張り詰めた空気の中、時間だけが過ぎていく。
 そこへ、
「な、なんだあれは⁉」
「化け物だ!」
「みんな逃げろ!」
「次から次に一体何が起きてるんだ!」
「この国は破滅するのか⁉」
 広場に集まったやじ馬たちが悲鳴とともに走り去っていった。
 取り残されたふたりは空を見上げる。
 大きな影が空を羽ばたき、ふたりの間に降り立った。その体格に似合わぬ上品な着地だ。衝撃で揺れることさえなかった。
「バーバラ!?」
 それは恐ろしい竜の姿をした姫であった。
「どうしてここに……? 皆に見られるのを嫌だって言ってたのに」
「私にも思うところがあり、タンサ様に任せたまま隠れているわけにはいかないと思ったのです」
「バーバラ様……!」
 魔女の目が竜を見つめる。
 悲しみ、恐れ。感情は入り混じり、言葉一つで表すことはできない。
 生涯付きまとう魔女という烙印。
 無償の恩への裏切りの感触。
 許されることのない再会。
「……スピル」
 竜の声は恐ろしい口から発せられたとは思えないほどに凛々しく、優しかった。
 「よく聞いてくださいスピル」
「…………聞けません……私は……」
 魔女の心には棘が刺さりすぎている。
 心を閉ざし、耳をふさぐ。
「いいえ、聞いていただきます」
 届けられた言葉はふさぐ手の隙間を通った。
 その一言はあまりに衝撃。
 考えの範疇の外の言葉。
「私は、あなたの手に渡ったモノを取り返しに来たわけではありません」
 だからこそ魔女は凍るように固まった。

竜の言葉に動きが止まる。
 魔女は錆びついた人形のようにぎこちなくそちらに体を向けた。
「嘘……嘘です……」
 泳ぐ瞳。震える声。
 魔女にはわかる。疎まれる姿の苦痛が。
 だからこそ言えるわけがない。
 そんな言葉は口から出そうとしても、喉に絡みつき表には出せるはずがない。
 何か別の意図があるかもしれない。
 『取り返しに来たわけではない』そんな言葉が簡単に信じられるわけがない。
 魔女の心に疑念が纏わりつく。
 ならば何のために姿を現したのかと。
 強く拒絶する魔女とは違うが、疑問を隠せないもう一人。
「バーバラ、どういうこと?」
 タンサへの頼み事は奪われたモノを取り返すことだ。それを今になって反故にする意図が掴めない。
「もちろん初めはそのつもりでした。ですが今は違います。タンサ様にも多大なご迷惑をおかけしたこと、謝罪いたします」
「僕は別にいいんだけど……」
 そこで魔女は息を呑む。
 わざわざ出向いてくるとは相当な覚悟だ。
 普通では成し遂げられないことをしようとしているに違いない、そう感じ取った。
「まさかバーバラ様自らの手で私を葬るために……」
「それも違います」
 だがそれも空振りするように否定された。
「では何故!?」
 語気がより一層強まる。
 そんな姿を目の当たりにしても尚も穏やかな口調を崩さない竜の声は、ゆるやかでそよ風のようだった。
「あなたの手、その花に渡ったモノ。それは私の『美貌』ですね」
「……はい」
 願いを叶える花は美を吸収し、不可能を可能にする力に変える。
 美女を連れ去るドラゴンの言い伝えとは即ち、美しさを吸い取られ、奪われて醜い竜へと姿変えた者のことであった。
「あなたは、自らの外見を変えたかったのですよね。わかってはいたのです。あなたが自分の姿に悩みを抱えていることを」
「……」
「でも私にはどうすることもできなかった。苦しむあなたのすぐそばにいたというのに……」
「バーバラ様……」
 苦しみの渦中にいる友に手を差し伸べられない歯がゆさ。無力さの述懐。
「やっと……やっとあなたを助けることができる。これはそのためのたったひとつの方法だと、そう思った時、私は決心致しました」
 深呼吸をして間を置く。
 そして竜は魔女に向かって、そっと微笑みかけた。
「あなたに差し上げます。スピル……美しく、そして幸せになってくださいね」
「ッ!」
 姿形は変わっても、変わることのない美しいその笑顔。
 今の魔女の心を揺るがすことのできるのはただひとつ。その混じりけのない気持ち。
「…………どうして、そこまで……?」
「何を当たり前なことを」
 竜はその問いかけを一蹴する。
 そんなことは問うまでもない。
「あなたが笑顔になれるなら、それで良いのです」
 その言葉を聞いて、魔女の目から、ひとつ、ふたつと涙が流れていく。
「バーバラ様……バーバラ様ぁ……」
 魔女の目から零れ落ちる涙はさらにあふれ出し、栓を抜いたようにとめどなくその頬を濡らした。
 魔女は崩れ落ちる。
 揺るがない美しさに。変わらない優しさに。
「申し訳……ございませんでした……!」
 その言葉とともに、美貌を閉じ込めた花は光り、輝き、広場を眩しく照らした。少し離れていても目が痛くなるほどで、タンサはキャスケット帽子でその目をふさいだ。
 少しの間、強い光に包まれていた空間も徐々に落ち着きを取り戻し始めたので、ゆっくりと帽子を戻す。
 するとそこには、先ほどまで魔女と少年の間にいた竜が姿を消し、その代わりに花の精霊を体現した美しい少女の姿があった。
 その一瞬だけ、たしかに雲の切れ間から日が差し込み、少女を引き立たせる照明となった。

元の姿を取り戻した姫。
 その姿は恐ろしい竜から打って変わって美しく、存在するだけで空間に輝く花が咲いているような錯覚を与える。
 自分の体を確認して初めにしたのは歓喜───
 ではない。
 友の元へと駆け出して俯く姿に寄り添った。
 今のバーバラにとって自らの容姿を取り戻すことなど、もはやどうでもよかったのだ。
「スピル……何故ですか? あなたの願いが叶えられたのですよ……?」
 声には力がこもっていない。その顔に浮かぶのは哀しみにも似た表情だ。
 力なく座り込む友をその美しい瞳に映した。
「いいえ……いいえバーバラ様、私は……私なぞは美しくなる資格などないのです」
 スピルは泣き顔を振り回し、涙を飛び散らせながら嗚咽混じりに嘆いた。
「どうしてそのようなことを」
「バーバラ様はお美しい……それは外見なんてものにはとらわれたりしない、内面から溢れる美しさが織りなしているのだと気づいたのです。私には……私のような醜い者には無いものです……」
「何を仰るのです……」
 姫は自らの手を、その手に優しく嗜めるように重ねた。
「おやめください!」
 しかし魔女はそれから避けるように手を逸らした。
「バーバラ様の優しさは存じております。ですが、ですがその優しさが苦しいのです……」
 涙の粒が魔女の手の甲を濡らす。
「美しいお姿、そして美しいお心。それらを兼ね備えたバーバラ様に触れると、醜い私の中に妬み、嫉みの思いが溢れて、燃えて、熱を帯び、黒く淀んでいくのです……!」
「スピル……」
「私はバーバラ様をお慕いしております……こんな私にも分け隔てなく接してくださるあなたの優しさにどれほど救われたか……ですが、いつの日からか暗い思いが湧いてきて……私の心をむしばむようになりました。私は、私は嫌いなのです! 憎いのです! このような心を向けてしまう自分が何よりも……」
 魔女は俯いていた顔を姫に向けた。
 それは自らの容姿を嫌う者にとっては決死の行いだった。
「私はもう、生きていることが辛いのです……お願いしますバーバラ様。この……姿も心も醜い女を少しでも哀れに思うならば私を……」
「っ! 何を言っているの!」
 姫の声が強く響く。
「お願いします……どうか……私の、たった一つの望みなのです……」
「やめて……やめてスピル……そのようなことを言わないで……」
 魔女の顔が力なくうなだれていく。
 姫はその壊れそうな背中に手を当てて落ち着かせることしかできなかった。
 その目にはなんとかしたい。なんとかしてあげたい、という切実な思いが宿っている。傍目に見ていてもそれは理解できる。その思いは出会ったばかりであっても心に伝わる。
 だがこればかりはどうにも……とタンサも頭を悩ませた。次の瞬間、
「あっ!」
 という声と同時にカバンを漁る。その奥深くに眠っている物を探して。

「タンサ様……? 急に声を上げていかがなさいました……?」
 その言葉に返事をするように鞄の中を尚も漁り引き抜く。
「あった」
 カバン奥深くで忘れ去られていたピンク色の物を取り出した。
 スライド式のスイッチを入れてみると背筋の凍るスパーク音が響く。
「よし、動く」
 動作を確認するとタンサはしゃがみ込んでいる魔女のもとへゆっくりと近づいた。
「た、タンサ様……それは一体? 何をしようと言うのですか」
 明らかに危険でしかないその音を聞いて、姫の顔は青ざめた。
 理解不能な道具を取り出して、友の側に歩み寄る姿はまさに断罪者そのもの。
「多分大丈夫だから安心して」
「多分!?」
 バーバラはその言葉にさらに取り乱す。
 優雅な姿勢を貫いてきた姫も、理解の外の事態にはただの少女である。
「バーバラは離れてて」
「タンサ様、お待ちになってください」
 当然友を案ずるならば静止をかける。
 しかしその姫に背を向けて、タンサはスピルに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「スピルは神の力を信じてる?」
「……え?」
「どうかな」
「…………昔は信じてた……星の数ほど……その分だけ祈りをささげてきた」
 自らの姿が侵されていく日々。
 もしも朝、目が覚めて鏡を見て元の姿に戻っていてくれたら。
 そんな淡い期待を何度抱いただろう。
 夢に見たこともある。
 元通りの綺麗な肌。誰にも遠慮することのない顔に喜ぶのも束の間、かゆみと痛みで目を覚まし、鏡を見て現実に落胆する、そんな日々だった。
「でも、そのことごとくが私の顔を見て逃げ出した」
 拳を強く握りしめて力なくささやく。
 どれほど信じられている神もこの呪いを解くことなどできなかった。
 初めのころは怒りもしたが、今では神などそんなものだと諦めてさえいる。
「神なんて……どれだけいてもなんの役にも立ちはしないの……」
 むなしく響く訴え。
 その言葉を聞いて、断罪者のような少年は宣教者のようなセリフを吐いて、手に持っているものを構えた。
「大丈夫。今日からはイッシンキョーだよ」
「それが、私のような罪深く醜い者にはふさわしい、断罪の神だと言うなら……どうかお願い」
 覚悟を持って目を閉じる罪人。
「少し痛むだろうけど我慢してね」
 少年はそのおぞましい音を奏でる機械を魔女の顔に当てた。
「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああっ!!」
 その瞬間、絶叫がその口から漏れ出す。
 焦げた匂いが少しずつ増していく。
 全身が痙攣し、白目をむいて口から泡を吹いている。
 涙も唾液も溢れに溢れて水たまりができている。
「タンサ様⁉︎ 本当に、本当に大丈夫なのですか⁉︎」
「とにかく今は信じて」
 その言葉の何を信じろというのか。
 バーバラは焦りを募らせた。
 しかしその目には決して冗談ではないと、真剣な力がこもっていた。
 だからこそ覚悟を決めた。
 大きく、ゆっくり息を吸い、肺をいっぱいに満たしてから長く、長く吐き出す。
「…………………………かしこまりました。ここまで私のワガママにお付き合い頂いたあなたを信じます。スピル、頑張ってください……!」
 喉を引き裂くような絶叫はしばらく続いたが、それも間もなく意識が途切れることにより止んだ。

しばらくして、その機械は自動的に停止した。
 その機械を当てられていた者は地面にはうつ伏せで倒れこんでいる。
「スピル! スピル! しっかりしてください! タンサ様、本当に大丈夫なのですよね⁉」
 姫は取り乱し、声を荒げた。
「少なくとも生きてはいるよ」
「しかしピクリとも動きませんよ!」
「その証拠に、僕の心臓がまだ動いてる」
「一体それと何の関係が……!」
 その瞬間、叫ぶ姫の声が届いたのかその手がわずかに動いた。
「……うっ」
「っ! スピル!」
「うぅ……バーバラ様。私は、生きている……そう……生きているのですね……」
 のそりと体を起こし、ヒリつく顔を抑えるように、俯いたまま手を当てた。
「……」
 頬を触る手が止まる。
「…………?」
 再び手を顔全体触るように動かす。
「………………?」
 手が離れ、顔が上がる。その表情は驚きと不信が混ざり合い、困惑した様子だった。
「これは……?」
「す、スピル……あなた顔が……!」
「え?」
 懐から手鏡を取り出す。
 そして薄目でおそるおそる自らの顔を映した。
「っ!?」
 驚きのあまり声を出すことさえもできなかった。鏡に映し出される姿は幻の類のようにも感じられ、ふたりへと視線を流した。
 ふたりとも当人に負けず劣らず驚愕の顔をしていることに、自分だけが見ている幻想ではないことを悟った。そして、再び鏡を見る。
 そこには、
 顔全体を赤く覆っていたニキビがすっかりと消え、
 血や膿を流すことのなく、
 シミ、シワが一切消え、
 黒ずんだ毛穴はすっかりなくなり、
 浅黒かった頬は血色の良いピンク色に、
 キメ細かい肌になり、
 垂れ下がった瞼はしっかりと開かれ、
 切れ長の目が涼しげで、
 長い睫毛が生え揃い、
 瞳には生気が宿り、
 突き出た頬骨が引っ込み、
 鼻は小さく筋がしっかりと通り、
 自己主張の激しい腫れぼったい唇は控えめに───
「さすがに変わりすぎではないですかっ⁉」
 あまりの変貌ぶりにお淑やかさも忘れて、つい声を上げてしまった姫であるが、小さく咳払いをして気を取り直す。
「スピル……」
「ああ、これは……これはまさに奇跡のよう……!」
 それは少女が植物からの毒を受ける前、呪われるより前、姿が変わっていく前の、可愛らしい姿であった。
「夢では、ないのですよね……?」
「ええ、ええ!」
 歓喜の涙を流す友につられて、姫の瞳にも涙が浮かぶ。
「タンサ様、先ほどのそれは?」
 少年は尋ねられてその名を呟く、視線を逸らしてやや気恥ずかしい気持ちを誤魔化す。
「美の女神……シレイ」
「その方は一体……?」
「……僕の姉さん」
「タンサ様のお姉様は女神様だと言うのですか?」
「自尊心の強さはそれくらいだと思うけど」
「ああ、女神様のご加護を運んでくださるあなたは、紛れもなく天の御使い様。ありがとうございます……!」
「……姉さんにも伝えておくよ。理解できない発明は神業と言えるからね」
「よかったですねスピル……!」
「はい……はい……! これで、これで……私は───」
 続きの言葉を発した笑顔は、美しかった。
「私は……『人』として死ぬことができます」

「何を……言ってるのです……?」
 スピルの発言に、バーバラの瞳が揺れ動く。
 スピルは決意を固めた目つきでバーバラの顔を直視しながら続けた。
「お願いします、どうかこのまま私に罰を与えてくださいませ」
「もうあなたは、あなたが嫌いなあなたではないのですよ……?」
「……はい。確かに嫌いな自分がひどついなくなりました。ですが……」
 バーバラはスピルの言葉黙って待った。
「この醜い心。許されざる罪を犯したこれはどのような姿になっても消えることはありません」
「そんなことはありません。あなたの心は決して……」
「何故そう言い切れるのですか? 私はバーバラ様の美しさに嫉妬し、あろうことか手に掛けた魔女です」
「……」
 こうべを垂らし、うなだれて黙り込むスピル。
 たとえ姿が変わっても、長い間募らせた『醜い魔女』という心はその胸に深く刻まれ、自らさえもそのように評価してしまう。
 それでも、ただひとり変わらずに友を思い続ける者がすぐそばにいる。
「私はあなたの心が醜いだなんて微塵も思いませんよ。それどころかあなたの心は美しいです。私よりも」
「……いいえ、慰めはよいのです。自分のことは自分でわかっておりますから」
「慰めなどではありません。本心から思っております」
「このような私に同情など……」
「同情でもありません」
「では、何故そのように仰るのですか」
 バーバラは優しい声色で、スピルの傷んだ心をなでるように話し始めた。
「あなたは、あの花を使おうと思えばいつでも使えた。それでも最後まで使うことはなかった。何故ですか?」
「……それは」
「あなたも悩んでいたのでしょう? 私のことを思って」
「……ですが本当に美しいのなら手を染めるまでもありませんでした」
 自らのことを否定し続けるスピル。
 それでもバーバラはスピルという存在を肯定する。
「初めて出会った時のことを覚えておりますか?」
 二人の出会い。
 それはスピルがバーバラを突き飛ばしたことから始まった。
 その問いかけにスピルは黙って頷いた。
「あなたは私を助けてくださいましたね」
「別に、特別なことではありません」
「そうでしょうか? あの時すでにあなたは自分の姿を見られたくはないと思っていたのでしょう?」
「そんなの、たまたま目に入ったからです。美しいと仰っていただけるほどのことではありません」
 目の前で脅威に晒されている人を助けるという行い。そんなものは言ってしまえば普通だ。聖人でなければできないわけではない。
 そしてバーバラという存在はスピルにとっては、親切の神が人間界に舞い降りたようなものである。
 自分のような人間の善行など、その神にとっては呼吸をするように些細な行いであると思えてしまう。
 だからこそどれだけ肯定されても受け入れることができなかった。
「いいえ。私は自らの姿が変わったとき、誰の目にも触れたくなくて洞窟にこもりました」
 しかしバーバラは首を横に振った。
「誰にも会いたくなかったのです。それくらい、人に会うというのが怖いと思いました」
 そして、自らの不親切、弱さをつらつらと語り始めた。
「あなたはその心を抱えながら私を助けたのです。私には……到底できそうにありません」
 さらに友の親切、強さを称えた。
「バーバラ様も私を救うためにここまで来てくださったではありませんか」
「……いいえ、私はきっとあなたと初対面だったら、目に触れないことを選んだでしょう」
「……」
「あなたは過ちを認め、あなたに差し上げると言ったモノを返してくれて、そして謝ってくれた。そんなあなたのどこが醜いと言うのですか?」
「しかしバーバラ様。過ちは過ちでございます……謝れば済むというものではありません」
 うつむき、目をそらし、目には涙をためる。
 そんなスピルの背に手を当ててバーバラは言った。
「…………私は姿を変えられた時に思ったのです。ああ、なんて醜い姿だろう。このような姿を誰にも見られたくはない。……と。自分の嫌いな姿を誰かに見られることはこんなにも恐ろしいことだなんて、私は知りませんでした」
「……」
「あなたもそうだったのですね。それなのに私はあなたのことを多くの人前に連れ出して……どうかこの浅慮な者を許しては頂けないでしょうか……私は、私と共にいるあなたの姿を皆に見せれば、皆があなたにも優しくしてくれると思っていたのです……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「そんな! 何故バーバラ様が頭を下げる必要があるのです! すべては私が……私だけが悪いのです!」
「では私のことを許してくださるのですね……?」
「もちろんです!」
「ならばよろしいではないですか」
「えっ……?」
「私たちはお互いに傷つけあった。しかしこうして二人とも無事に戻り、そして許しあった。他に何が必要だというのです」
「ですが私の犯した罪は……罪には罰が必要です」
「スピル。私たちは|親友《とも》ではありませんか。間違えたのなら『ごめんなさい』と言い、許しあえるならそれでよいではないですか」
「バーバラ様……こんな私をまだ親友だと……言ってくださるのですか……?」
「当たり前ではないですか。あなたは私の大切な親友ですよ。これまでも、そしてこれからも」
「……バーバラ様……申し訳ありません」
 泣き崩れそうなふたりは抱き合いながら、お互いを支え合った。

「竜が現れたのはここか!」
 城の方から鎧を身に纏った兵士たちが、ぞろぞろと駆けてきた。
「竜はいないぞ!」
「どこへ行った!」
「む、先ほどの侵入者だ!」
 最も近いタンサを見つけて、兵士たちは剣や槍を構える。
「お待ちなさい!」
 戦闘態勢になる兵士たちは、その声に一喝されて動きが止まる。
「バーバラ様!」
「姫様、ご無事でしたか!」
「む、魔女め……魔女……? 顔が違うような……いやそんなことはどうでもいい! 姫様から離れろ!」
 バーバラのそばにいる存在に兵士たちは警戒を強めた。
「お黙りなさい!」
 バーバラはスピルを庇うように、兵士たちの視線を遮った。
「……」
「……」
「……」
 バーバラは一歩、また一歩と歩みを進める。
「私は戻ってまいりました。何を隠そう、タンサ様とスピルのお陰で。おふたりは私の大切な存在です。もしもこれから先、おふたりに何かする者があれば、それ相応の罰があると知っておきなさい!」
「……ば、バーバラ様……?」
「わかりましたね!」
「はっ!」
 バーバラの言葉に兵士たちは背筋を伸ばし敬礼をする。
「わかったのなら他の者たち……この国全てに伝えるのです! 今すぐに!」
 兵士たちは慌てて撤退していった。
「バーバラ様……私……私のせいだというのに」
 自分のせいで姿を見せることのできなかった姫が、自分を庇うどころか、恩人として振る舞っている。
 何をしたいのかは理解ができる。しかし納得はできなかった。
「私は何も嘘は吐いておりません。あなたのお陰でこうしていられるのですから」
 バーバラは跪くスピルの肩を持ち、立ち上がらせた。
「さあ、背筋を伸ばし胸を張りなさい。あなたは姫を助けたのです。これからはもう誰もあなたを無碍にはできませんよ」
「う、うぅ…………ありがとう、ございます……!」
「やっと、その言葉が聞けましたね」
 青空が姿を現し、日は二人を照らす。
 涙で濡れた、二つの花が輝く。
 その花たちの前では、待ちわびた青空さえも助演にすぎなかった。

「タンサ様、まことにありがとうございました」
「わ、私も……ありがとう。あなたのおかげでこれからは普通に生きられる気がする。……それとごめんなさい。助けてくれたのに私、酷いこと言っちゃって……」
「そういう気分の時だってあるよ」
 バーバラとスピルはタンサに対して、最大限の礼をする。
「この感謝をどのように伝えればよいでしょうか。どれほどの物を捧げれば報いることができるか分からないほどに大きな恩をいただきました」
「そんな、僕は特に……」
「ご謙遜を。タンサ様がここにいらっしゃってくださらなければ、このように全てが上手くいくことはなかったでしょう」
「そう言ってもらえるだけで僕は満足だよ」
「いいえ、それでは私たちの気が収まりません。お望みの物が無いようでしたら、宝物庫の中から最も高価な物を、あるいは代々受け継がれた国宝を……」
「ま、待って! ある! 欲しいものあるからっ!」
 つり上がっていく礼の価値に恐縮して、慌てて目当ての物を頼んだ。
「……タンサ様がそちらを望むのであれば。かしこまりました。それでは用意させましょう」

その後、タンサは土産を持って宇宙船『麗しのシレイ様号』の所へ戻ってきた。
「……本当にこれだけでよろしいのですか?」
「もっと良いものがあるのに」
 バーバラは片手で持てるほどの小さな袋を手渡す。隣に立っているスピルも不服そうな表情をしている。
「うん。お土産にはピッタリかなって」
「しかし、それでは受けた恩に対してあまりにも……」
「気にしなくていいのに」
「ですが……」
「それならまたここに来るから、その時はこの星を案内してほしいな」
「タンサ様のお望みとあらば喜んで。その時はスピルと共に」
「うん、じゃあまたね」
「ええ、またいつか。必ず」
 惑星探索型人間を乗せた宇宙船はゆっくりと飛び上がる。窓から顔を覗かせたタンサが手を振り、バーバラとスピルもそれに応えた。その宇宙船の姿が見えなくなるまで。

宇宙からの帰還、タンサはツクョエにある我が家に戻ってきた。
 宇宙船を置くために庭は広いが、家自体は決して大きくない。白くカマクラのように半円の家である。扉の前に立つと、タンサの顔を認証し、自動で開かれた。
「おかえり。よしよし、無事に帰ってきて偉いぞ~」
 出迎えてきたのは姉であるシレイ。
「ただいま」
「あ! 服の背中のへんがちょっと破けてる! 無理しないように言ったでしょ⁉」
「う……これは仕方なかったんだよ……」
「まったくもう、ちゃんと帰ってきたから許す。それでお土産は?」
「もうちょっと労わってくれてもいいと思うんだけど……」
「心配はもう終わり。ほらお土産」
「わかったよもう。準備するからちょっと待ってて」
 荷物を持って台所にこもり、湯が沸くのを待つ。
 待ちながらタンサは今回降り立った惑星での出来事をかいつまんで説明した。
「それにしても『美の女神シレイ』はすごいね。本当に顔が変わっちゃったんだもの」
 その言葉により、自らの発明品が悩める少女を救い、褒められたことに対して姉は胸を張り誇る。
 そんな反応を想像していたが、返ってきた最初の言葉は意外なものだった。
「そんなわけないでしょ」
 否定である。
 しかしタンサは間違いなくその奇跡を目の当たりにした。
 そのため姉の言葉が理解できなかった。
「え? でも本当に別人みたいになったよ? 奇跡みたいだって」
「あのね『美の女神シレイ』はただの美顔器だよ」
「美顔器?」
 そして惑星に降り立つ前に誇らしげに語ろうとしていた美の女神シレイの原理について説明を始めた。
「無理やり顔を変えるわけじゃないの。整形じゃないんだから。ちょっと対象の遺伝子情報を読み取って、有害なウイルスを死滅させて、必要な栄養素を注ぎ込んで、ターンオーバーを急速に起こして再生させてるだけ」
「……? えぇっと、わかんないや。つまりどういうこと?」
「変わったんじゃないの。戻ったの」
「……そうだったんだ」
 沸いた湯に茶葉を入れる。鮮やかに色が付き始める。
「はい。どうぞ」
 カップに花の蕾入れて、その中にお茶を注いだ。カップの中はキレイに満たされていく。
「向こうで飲んだお茶でね。綺麗なだけじゃなくて美味しいんだよ」
「……美味しくない。渋い」
 シレイは空になったカップを不満げに置いた。
「あっ! ちょっと姉さん!」
「うえ、え……な、何?」
「飲むのが早すぎるよ! 花が開ききってないじゃないか!」
「え〜、そんなに待たなきゃダメなの?」
 タンサはため息を吐いた。
「やれやれ、コレだから風情がわからない人は……家にこもって発明ばっかりしてるから、そんなふうになっちゃうんだよ」
「ほう? 私の発明にどれだけ助けられてるか忘れたのか〜?」
 シレイは生意気ぶった弟を捕まえると、そのまま押さえつけ、脇の下や腹回りをくすぐった。
 タンサの笑い声が家中に響く。
「わっ、や、止めて……参った、ぼ、僕の負けだから!」
 ピタリとシレイの手が止まる。笑い疲れたタンサの息は上がっている。
「素直に負けを認めるその心意気はよろしい」
「よ、よかった。じゃあ、どいて」
「でも……」
「……?」
「私はまだ勝ちを認めてな~い!」
「ええ、そんなぁ!」
 しばらくの間、その家は笑い声が溢れていた。

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